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ながれるようにととのえる

身体の内なる声を味方につけて、生きる力をととのえる内科医、鍼灸をおこなう漢方医のお話

やくも診療所 院長・医師

石井恵美 (いしいえみ)

眼科医を経て内科医、鍼灸をおこなう漢方専門医。漢方や鍼灸、生活の工夫や養生で、生来持っている生きる力をととのえ、身体との内なる対話から心地よさを感じられる診療と診療所を都会のオアシスにすることを目指す。
やくも診療所/東京都港区南麻布4-13-7 4階

小さな許しを自分のなかに持つ

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朝起きて鏡で自分の顔を見たらぎょっとした。左目が真っ赤になっていて明らかに結膜下出血だった。目が赤いといっても、ウイルス性の流行り目やアレルギー、細菌性の結膜炎もある。しかし、白目がべったりと血で赤く染まっていて、血管も見えない。これは結膜下出血の特徴だ。結膜下出血は、結膜の下の小さな血管が破れて起こるのだが、ほとんどの場合は原因がはっきりしないことが多い。通常は1、2週間くらいで自然に血が吸収されて改善する。結膜下出血になったのはこれで2回目だが、今回も前回もなんとなく理由はわかっている。

漢方では、目は肝臓や胆嚢と関係していると考える。身体は結膜下出血という症状を通して、肝臓や胆嚢に目を向けてほしいと知らせたかったのだろう。いつも同じことを繰り返しているので、身体には「もう少し早く気づくといいよ」といわれているような気分だ。「ごめんなさい。それに気づかず、慌てて生きていました。ありがとう、教えてくれて」と身体に伝え、より回復しやすいように私にできることをやろうと決めた。

結膜下出血になり2日目からは蒸しタオルが気持ちいいことを発見した。そして、見た目が痛々しいのが功を奏して、自分でもできるだけ無理をしないで養生しようという気分で過ごせた。しかし、コロナ禍だからか、それともいまの社会の空気感なのか、電車を待っているときや電車の座席に座っているときなど、周りの人たちが目の赤い私を見た途端、どんどん離れていくのだ。結膜下出血は人にうつすことはないが、見た目に異常さのある私に近づいて、なにかの影響を受けるかもしれないリスクを排除しようとする無言の空気を感じた。私が元眼科医であることを知っている人には、この赤い目の症状は人に迷惑をかけることがないと説明できるが、街や駅ですれ違う人たちには伝えることはできない。

コロナ禍になって、人への拒絶のようなものが、以前より増えてきているのだろうか。異なるものに出合ったときに感じる違和感を拒絶するのは個人の自由だが、その違和感との対話を丁寧にすることで、小さな理解のきっかけにつながるはずだ。そうすることで排除しようとする社会の空気感を少しでも減らせるのではないだろうか。結膜下出血になったことで、いままで以上に同じような症状の患者さんにやさしくなれそうだ。

いつでも自分を許してあげていい

ちゃんとした子ども、ちゃんとした大人。社会にはちゃんとしなければいけないという価値観がある。社会が作る「ちゃんとした」は、そもそも心地よいものなのだろうか。いつのまにか価値観の鎧を着させられて、身動きが取りにくくなっていないだろうか。生きていくうえで自身が心地よく過ごせているかということが、置き去りにされているように思う。「ちゃんとしなくては」「こうあらなくては」を意識しすぎて、自分に厳しくなりすぎていないだろうかと、ときどき自分に聞いてみるようにしている。

小さな許しを自分のなかに持つことは、自分自身を一番楽にする。例えば、なにか問題を抱えていて、具体的な答えが明確にでなくても、焦らずにいま少しでも気分が楽になるように、呼吸に意識を向けたり、身体に意識を向けたりしてみる。呼吸が少しでもしやすくなったり、身体の余計な緊張が少し減ったりする、そういった小さな変化を探すことは、生かされている自分に与えられた最大のしあわせだ。

どんなことを大切にして生きていたいのか、なにがしたくないのかを、模索しようとする小さなチカラがでてきたら、それはこのうえないしあわせなのではないだろうか。小さなチカラだからこそ、そこには大きな可能性が拡がっている。それをいつも信じて生きていきたい。

- ながれるようにととのえる - 2022年11月発刊 vol.182

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