『法の舞台/舞台の法』のタイトルのもと、4月号から連載をおこなってきましたが、これまで主に私が取り上げてきたのは、タイトル前半の『法の舞台』に関する話題でした。今回は、タイトル後半の『舞台の法』に関する話題を取り上げたいと思います。
舞踏とはなにか
プロフィールに記載しているように、私は弁護士である一方、舞踏家としての活動もおこなっています。
ところで、舞踏とはなんでしょうか。もしかしたら、舞踏とはダンス全般をさすと思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、ここでいう舞踏とは、1959年に日本で生まれた前衛舞踊のことです。正確に定義することは困難ですが、舞踏は一般に、白塗り、剃髪、ガニ股、土着性、リズミカルでない動きなどにより特色付けられると説明されます。ただ、それらの要素がなければ舞踏でない、というわけではありません。
創成期の舞踏は異端傾向が顕著であり、暗黒舞踏などと呼ばれていました。しかし現在は、国内外で多くの舞踏家がそれぞれの流儀で活動しており、極端にいえば、舞踏は一人一流派の様相を呈しています。私自身の踊りも、暗黒舞踏的な特徴は希薄です。
舞踏との出会い
20代のころ、私はなにかを表現したいという想いを常に抱えていました。その想いにかられ、一時期は映画学を専攻し、いつか映画を撮りたいと漠然と思っていました。しかし、映画の研究を続けるうちに、自分の表現衝動は映像表現に昇華されるものではないと強く自覚するようになりました。
私が舞踏と出会ったのは、そうした時期でした。屋久島で開催された舞踏のワークショップにたまたま参加し、5日間、自然のなかで踊り続けるという体験をしたのです。そこで体験したのは、身体のなかを波が通過するイメージで踊ること、灰の柱になったイメージでゆっくりと歩くこと、身体で木をスケッチすること、火の精や氷の精になって歩いてみること、滝を身体で踊ること、野生の鹿の視線を感じながら動物になりきって動くこと、倒木に寄り添うように踊ること、踊りで他者に想いを伝えること、などなど。最終日には、参加者それぞれが10分程度の作品をつくり、海岸で披露しました。
体験したワークはどれも鮮烈で驚きに満ちており、私に新しい世界を開いてくれました。この体験から、私は、身体の無限の可能性や、自然との新しい関わり方、イマジネーションの自由、そして創造することの歓びを学びました。それまで、舞踏はもちろん、ダンスの経験すらなかった私ですが、舞踏こそが私の生涯の表現方法に違いないと確信しました。一方で同じころ、私は表現することへの意欲とは別に、直接人や社会の役に立つ仕事をしたいという想いも抱えていました。そこで、法律の勉強を始め、今、弁護士として仕事をしながら、舞踏家としても活動をしているわけです。
障害と舞踏
私が障害者の権利に関する法律問題に多く取り組んでいることは、これまでの連載でご紹介しましたが、実はその発端は、舞踏にありました。私が住む京都では、障害者介護の仕事をする舞踏家の方が少なくなく、そうした方たちとの交流を通じて、障害者の方や障害者を支援する方との縁が生まれたのです。そんななか、私は、障害者の権利や、障害者を取り巻く法制度に強い関心を抱くようになり、弁護士になった後、障害者の権利に関わる仕事に積極的に取り組むようになったのです。
こんな風に、舞踏家としての活動と弁護士としての仕事には、実は重なりがあるのです。次回以降、双方が重なる具体的な実践についても、ご紹介したいと思います。