「ビリヤニ」をご存じでしょうか? 手の込んだインドの炊き込みご飯で、口に含んだ途端、エキゾチックな香りが広がります。ビリヤニの虜になった私は、存分に堪能すべく9ヶ月ぶりに銀座の人気店を訪れました。
その日、案内されたのは私にとって苦手な席。店の奥にあるウナギの寝床のように細く狭いわずか3畳半ほどのスペースで、そこには4テーブル・10席がギュッと横一列に詰め込まれていました。私が案内された席は、そのど真ん中。左右両方から賑やかな声が丸聞こえで、声がぶつかってきます。「逃げ場がない」「落ち着いて食事を楽しめない」、過去に何度かそのように感じた席でした。それにもかかわらず、すっかりビリヤニに心を奪われていた私は、うっかり案内されるがまま着席してしまいました。
ほどなく魅惑のビリヤニが登場! 五感すべてで堪能し、うっとり恍惚感に浸りはじめた、まさにそのときです。
「いや~、ここのビリヤニは最高なんですよ!」「本場のビリヤニでね!」
突如、私の耳元で張り上げたかのようなハイトーンボイスが耳を貫通。瞬く間に全神経がハイジャックされていました。声の発信源は又隣の4名席。抑えきれぬ高揚感で盛り上がっているご様子。ビリヤニに歓喜興奮しているのは私だけではなかったようです。
ズレた努力の塗り重ね
私は全神経をビリヤニに集中させようと試みますが、賑やかな話し声が気になって仕方がありません。気を取り直し、気にしないよう努めます。「むむむ、手ごわい!」。耳をつんざく騒がしさが気になります。再び気にしない努力をしようとした次の瞬間、私はハッとしました。「そもそもこれって、環境の問題じゃない?」。
席間隔が狭く閉塞感のある個室のような場所で、そのうえ、ど真ん中の席。周囲が騒がしければ騒音に巻き込まれ放題です。物理的な観点から、逃げようにも抗いようにも非常に難しい。私が座ったのは、そんな環境だったのです。こうした事実を事実として認識した途端、私は気が楽になりました。
「気にしすぎ」「敏感」「気にしなければいい」「鈍感力も大事なのよ!」これらは私が過去に周囲からかけられた言葉です。私は「鈍感な自分になんかなりたくない」「気になってなにが悪いの」と内心反発しながらも、一方では「気にすること」を心のどこかで気にしていたわけです。だから、「気になるのは自分の問題だ」と考え、「気にしない努力」という解決策に飛びついたのでしょう。そもそも、本当のところ、一体なにが起きているのか?という現状把握もしないうちに。
そのため、問題を早とちりし、とらえ違えたまま努力を塗り重ねてしまっていました。それでは望む結果は得られないし、不満も募るわけです。
必死になったらゆるませる
何事も必死になり過ぎると、視野は狭まり周囲や事実が見えなくなります。心も物の見方も囚われます。そんなときは、目を閉じてみたり、深呼吸をしてみたりして、まずひと呼吸ついて、心と体をゆるませ落ち着かせてみる。それだけで、見えてくること、楽になることが多々あります。
ふと意識を向けると、周囲は先ほどと変わらない喧騒。でも、ハイジャックされていた私の全神経はすでに解放され、くつろいでいました。なにを解決したわけでもないのに。そして「自分は自分を心地よくできる」という自己効力感が心地よく全身に満ちていました。新たなスキルや問題解決力を身につけたわけでもないのに。
次回は開放感のある席をリクエストします。もし騒がしさが気になっても、もうズレた努力を塗り重ねることはないでしょう。もちろん、苦手意識でこのビリヤニの名店から足が遠のくこともありません。次回が楽しみです。