今年に入って、ある新しい試みを思いつきました。それは、「不出来で、無様な自分を面白がる」。いまでこそ、気を楽に自然体で生きられていますが、もともとは上手に手を抜いたり、力を抜いたりできないがんばり屋タイプでした。そんな私にとって、「不出来で、無様な自分を面白がる」という試みは驚きでしたが、とてもワクワクするものでした。
そんな試みを実行に移してみると、すぐさま歓迎すべき嬉しい変化が数々起こりはじめたのです。ひと言でいうなら「いままでの何倍もラクに」。それは数字では例えられない、まるで次元が変わったかのような感覚でした。
ヨロイがとける
まわりの人への気遣いや、まわりの期待に応えようとする衝動。まわりの機嫌を損ねない努力。
私のなかにまだあった、こうしたものがより一層やわらぐのを感じました。すると、気持ちが楽なだけでなく、あたたかい気持ちが一気に増したのです。
それまでも周囲の目は気にせず、自分が思ったことはやる方で、日々に幸せも感じていましたが、自分が思っていたよりも多少無理をし、がんばっていたことに気づくことができました。なかでも、「責任ある立場」だと思う場面では、すこし無理をしていたようです。たとえば、チームで結果を出すことが期待されている場面や、自分がリーダーであるときなどです。
もうひとつの嬉しい変化は、私のまわりの人間関係がより柔らかくなったこと。関わる人たちが傷つかないための鎧を脱ぎ去ったのです。関係が「上下」から「横」にシフトしたので、おたがいに気が楽になりました。
以前は「美和さんはすごい」「美和さんのようにはなれないかも」と言われてしまうことが時々あったのですが、最近は「自分は美和さんとは違うから、自分らしくあればいいと思えた」と言ってもらえることが増えました。これはとても嬉しかったです。
異なる立場や年齢に関係なく、誰と一緒にいても安心。自然体で、自分らしく、楽にいられる。これはじつに嬉しいことですね。
最高のお手本はすぐそばに
思い返せば、私には「不出来で、無様な自分を面白がる」最高のお手本がいました。この連載にも何度か登場したことがある、故エドウィン・コパード先生。私の師匠です。
エドウィン先生はとてもいい加減でした。期限は守らないし、物はよくなくす。問題が起きても「大丈夫、大丈夫。どうにかなるよ」とただ大笑い。楽観的すぎる(?)先生は自分に対しても、他者に対してもとても寛容でした。小さなことなど気に留めず大らか。自分を責める言葉も、人を責める言葉も、13年間でほとんど聞いたことがありません。
だから私たちは、エドウィン先生のまわりにいると、いつも安心して自分らしさを発見することができました。そして、自分らしくあることに許可を出せたのです。では、その自分らしさとはなんだったのか?
それは「デコボコさ」。いいえ、デコボコボコボコボコでした。突出した強みが一つあれば、不出来で無様な部分が数えきれないほどある自分。そんな自分らしさを発見し、受け容れられたのも、エドウィン先生自身が、自分の不出来で無様な部分を受け容れ、愛し、面白がっていたから。そんな最高のお手本でいてくれたから。「それが人間だよね」という柔らかな受容。
あなたのまわりにも、そんなお手本がもういるかもしれませんね。いい加減で、ちゃんとしていないけど、いつも朗らか。そして、あなたが憧れ尊敬する部分が際立っている。
ぜひ、そんな人と一緒に時間を過ごしてみませんか? きっと、あなたもいまの何倍もラクになりますよ。