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きのくに子どもの村通信より

【Vol.40】愛育心理研究会・通信 ニイルの自由の理論 2009.3.5

投稿日:

きのくに子どもの村通信より

学校法人きのくに子どもの村学園
かつやま子どもの村小・中学校
かつやま子どもの村小・中学校の教育目標は「自由な子ども」です。生き生きとし、好奇心旺盛で、集団生活に必要なマナーを身につけている子どもです。

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子どもと共に笑う

 最もよい教師は子どもと共に笑う。

 最もよくない教師は子どもを笑う。

 ニイルはルソーについで気のきいた名言の多い教育家である。これは、数多いニイルの名言の中でも私が最も好きなものである。著書や訳書にサインを求められると、たいていこれを書き添えることにしている(残念ながら『新訳ニイル選集・全5巻』の中にはない)。

 私がこのことばが好きなのは、とても深い意味が込められていると感じるからだ。

 ドイツの文豪ゲーテは、70歳を過ぎてから、17歳の少女に恋をして、正式に求婚したという。真剣で誠実だったのだ。彼女は母親と二人暮らしだったのだが、母親は驚いて娘とともども姿をかくしてしまった(母親は、はじめは自分への申込みだと思ったらしい)。この話を聞いて人はなんと感じるだろうか。

 「とても信じられない」、

 「正気かな」、

 「すごいなあ、若いなあ」、

 「純粋な人なんだ」、

など、さまざまだろう。中には「助平じじい」と笑う人もあるかもしれない。皆さんはどう思いますか?

 ゲーテといえば『若きウエルテルの悩み』、『ファースト』、そして「ミニヨン」など多くの詩で知られる偉大な作家だ。宮廷の要職にあり、社会的名声も高く、いわば功なり名を遂げた人である。そんな人が70を過ぎてなぜ?

 答えは明白だ。彼は若いウエルテルと同じ心を終生もちつづけたのだ。社会的役割を立派に果たす一方で、彼は、美しく、はげしく、悲しくて、しかし偽りのない自分自身を生きていたに違いない。多くの人は、この心を忘れ、干からびさせ、あるいは封印して、肉体的にも精神的にも老いていく。

 子どもたちもまた、この美しく、はげしく、悲しくて、偽りのない自分自身を生きている。日常的に、そして自然に生きている。それはしばしば大人の中のその心を呼び覚ます。その時、両者に共感が生まれ、その共感がおのずとほほ笑みをもたらす。ニイルが「子どもとともに笑う」という時、それはけっして表面的な笑いやバカ笑いではない。心と心が深いところで響きあうのだ。

 こうした共感のほほ笑みは、子どもが困った行為をした時でさえ生まれる。最近、きのくにのお転婆6年生の5人組が、担任の目を盗んで勝手にごはんを炊き、塩をおかずに腹いっぱい食べた。おなかが空いて死にそうだったからだといいはっている。しかし、彼女たちは気づいていないだろうが、たぶんそういうヤンチャ自体に意味があったのだろう。

 こういう悪戯をされると大人はあきれ腹を立てる。けれど心の深いところでは許してしまう。そしてほほ笑む。私たちの心の奥に閉じ込められていた何かが呼び覚まされるからだ。そこに共感が、ほほ笑みが、そして哄笑が生まれる。教師も子どもも不思議な幸福感につつまれる。子どもと共に笑う教師はしあわせな教師である。

 イスラエルの哲学者マルチン・ブーバーの著書に『我と汝』というのがある。「我と汝」とは、心と心が深く触れ合っている関係をいう。自分にとって特別の存在と触れ合っている時、相手はたんなる「あなた」ではない。愛しあう親子、抱きあう夫婦や恋人、信頼しあう友など、存在を共にするかけがえのない「なんじ」であり「おまえ」である。(ゲーテが求愛した時、彼は心を開いて少女に「なんじ」と呼びかけたのだ。)

 子どもと大人が共に笑う時には、このような関係が成立している。子どもは大人よりもひんぱんに、そしてごく当たり前に「我と汝」の関係でつき合おうとする。ちなみに「我と汝」と対照的なのは「我と彼」の関係だ。この関係は、気をつけないと「我とそれ」の関係へと転落する。

 フランスの哲学者ガブリエル・マルセルも同じことをいっている。存在の関係と所有の関係だ(『存在と所有』)。前者は「共に在る」または「相手の存在に参与する」関係である。この時には距離がない。両者をつなぐのは肯定であり愛である。後者は距離をおいて「見る」関係である。距離がないと見ることはできないのだ。しばしば「利用する」関係に成り下がる。前者の関係は魂全体同士のふれあいであり、後者は部分的な交際、つまり人格の一部だけでかかわりを持つにすぎない。

 私たちは子どもといると、しばしば理由もなく笑えてくるのを感じる。笑うのではない。自然に笑えてくるのだ。それはとても幸福な瞬間である。

 私たち教師は、いや大人は、この幸福を子どもたちに感謝しなくてはいけない。この幸福には、自分が心理的に解放され成長しているという実感と喜びがともなうことが多い。この大人の解放と成長の喜びが最も感動的に語られているのが、ジョージ・エリオットの『サイラス・マーナー』(岩波文庫)だ。人間嫌いで、偏屈で、ごうつくばりの、したがって孤独な老人のところへ、ある日とつぜん一人の幼子がやってくる。この子をきらい、呪っていたサイラスだが、やがて無邪気な心に次第に反応し心を開かれていく。そして子どもと共に笑う幸福な男になっていくのだ。

- きのくに子どもの村通信より - 2010年12月発刊 Vol.40

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