不安感への対処法は、このコラムでも何度か紹介しています。胸の苦しさや違和感を抱きながら「いま私は不安を感じているんだなあ」と何度も唱えると、不安は徐々に減っていきます。一度、徹底的に不安を消す練習をしてみてください。
ある程度まで不安が減ると、不安の言葉で表現してよいかわからない程度のモヤモヤは残りますが、「モヤモヤを感じているんだなあ」と繰り返していると、それもスッキリなくなります。一度でも感情を完全にクリアできれば、大きな自信につながるのです。
不安が解消できたら、別の感情でも練習しましょう。「イライラ」「羨ましい」などの感情をクリアにできると、さらに自信がつきます。不安とは自信がない状態なので、自信があれば、不安を感じることはできません。どんな感情も、いつでも減らすことが可能と知れば、心が安定します。
いつも不安はありえない
さらに、感情は放っておけば自然と消えていくものだと知っておくのも大切です。どんなに不安でも、ご飯を食べて美味しいと感じたときや、お風呂に入って気持ちいいなあと感じたときには、不安が減っています。あまりおすすめできませんが、タンスの角に足の小指をぶつけて激痛が走ったとき、不安は消えます。このように感情は必ず移ろい変化すると理解すると、「いま不安だけど、どうせ消えていくよね」と考えることができます。心が不安に支配されなくなります。
ないものが欲しい
不安が強いということは、そのぶん欲が強いということでもあります。もっと自分の思いどおりになってほしいという欲があります。思いどおりになっていない現状と、自分が願う理想の状況を比べ、落差が大きいほど不安が強まります。思考(マインド)は、いまないモノを手に入れることが幸せに近づく方法と思い込んでいるのです。
たしかに欲しかったものが手に入ると、一瞬、脳内ホルモンが快を感じます。でもその報酬は一瞬の快感にすぎないため、マインドはもっともっとなにかを手に入れようと動き出します。これは永遠に満たされない、ハムスターの回し車のようなものです。
一方、すでに持っているものに意識が向くと、心はすぐに満たされます。あなたはいま、この文章を読むことができる目を持っています。理解できる脳と知識を持っています。ご飯も食べているでしょう。住む家もあるでしょう。
もしいま、目が見えなくなったら? 知識がなくなったら? 食べるご飯がなくなったら? 住む家がなくなったら?
脳の思考はとても強欲です。いま自分が持っているものは、持っていて当たり前のものと感じています。でもそれは、今たまたま災害や戦争、トラブルがなかっただけです。いつなくなってもおかしくないものなのです。いますでに持っているものは、すべてありがたい(有り難い、有るのが難しい)ものです。
感染するかどうかわからないコロナウイルスの心配よりも、いま感染していない現状を「ありがたいことだなあ」と言ってみましょう。新緑の季節です。きれいな木々の緑を当然と思わず、それを見ることができる環境、まためぐり合わせ、そう感じることができる自分に感謝してみましょう。
禅の言葉に「柳は緑、花は紅」というものがあります。意味は「柳が緑色で花が紅いように、あるべき姿形があり、それが素晴らしい。転じて、ありのまま、あるがままの真髄である悟りの境地を示す言葉」だそうです。欲で曇ったメガネをかけていると、緑にも紅にも感動することができません。もったいないですよね。