「体の声を聞く」という言葉を聞く機会が増えてきました。しかし、「体の声ってなに?」という方も多いのではないでしょうか。私は疲れている患者さんがいると、「自分の体の声を聞きましょう」とお伝えしています。なぜなら、やらなければいけないことに追われる生活を続けていると、「体の声」、つまり「体が発しているメッセージ」を聞いている場合ではなくなり、無視してしまいがちになるからです。
「体の声を聞く」とは、例えば「疲れたなぁ」と感じたら、体の感覚をよく味わってみること。体がきついときは、「休んでほしい」という体(本音)からのメッセージです。痛いときは、「動かないようにしてほしい」「痛いところをさすってほしい」。お腹がすいたら、「お腹を満たしてほしい」。眠たいときは、「横になってほしい」。元気が出ないときは、「おとなしくしていてほしい」。体はいつも自分に対してメッセージを送り続けてくれています。
また、知らず知らずのうちに感情を表現しないようにしている場合もあります。泣いてはいけない、怒ってはいけない、怖がってはいけない、喜んではいけないなど、感情を出さないように、無理して笑顔を作っていたり、平気な顔をしていたりしていませんか? 感情はしっかり感じてあげると満足して落ち着いていきます。悲しいときは、涙が出なくなるまで泣きましょう。イライラしたら、誰もいないところでクッションをボコボコに殴りましょう。怖いときは、強がらず誰かに「怖いよ」と言いましょう。不安や寂しさを感じたら、誰かに甘えましょう。誰もいなければ自分で自分を抱きしめてあげましょう。そして、喜びは思い切り表現しましょう。
体の声を聞かずにがんばり続けていると、いつか大きなしっぺ返しがくるかもしれません。体の声を聞かないというのは、「頭の自分」が「体(本音)の自分」に対してムチを打っているようなものです。ずっと自分自身にムチを打っていると、突然、今まで通りの生活ができなくなるときがきます。例えば、頭痛やめまいで動けなくなったり、入院をしなければいけないような病気や怪我をしたりする事態が起きます。それは「体(本音)の自分」が「頭の自分」の暴走を止めようと、強制的に停止させようするのです。
なぜ体の声を無視してがんばるようになってしまったのか? その理由に気づくと、がんばっていた自分を冷静に見ることができるようになります。そうして初めて、がんばってもがんばらなくても、どちらでも良かったことに気づくことができるようになってきます。多くの場合、がんばることで、親の愛情を受け取ろうとしていたり、親のようになりたくなくて、がんばらなければ、と思い込んでいたりしています。共通点はどちらも親の愛がほしかったということ。愛を求めていると、いつまでも手に入れられず、ずっと求め続けることになります。もうすでに愛のなかに生きていると気づくことができれば、問題から解放されていくでしょう。