あの大震災から3年の月日が流れました。それぞれに、それぞれの回顧の中でその日を迎えられたこと思います。私たちは、2012年の春と秋の2回にわたり、「それでもなお、桜咲く。」と「それでもなお、前を向く。」という2回のシンポジウムを開催しました。過去、そのようなものを企画したことも、運営したこともなかったなかで、多くの方にお越しいただき、大震災の当事者となった皆さまのお話をご一緒に聞く機会を得られたことは、私にとっても大きな財産になっています。以降、大震災やシンポジウムから得た全ての学びは、私たちの事業そのものの中で生かしていくべきものと再考し、イベント運営よりも、私たちのあり方自体を変革することに意識を注いできました。日本に関係するすべての人にとって、忘れがたく、または変化の糸口となったあのできごとを、この国の、または世界の学びとして生かしていくことを目指して精進を続けてゆきたく思っています。
だからこそ、桜咲く。
原発事故直後のこと、何をどうして良いのか全くわからないまま、とにかく行こうと駆け込み往復した広大な福島の地で、どうしても忘れられない一つの光景があります。それは単なる記憶というよりも、私の心の引き金を引いた景色でした。当時、放射線影響がどれだけあるのかわからない場所で、多くの人が黙々と日常を生きようとしていました。その後、立ち入り禁止になった場所もあれば、原発から近いにもかかわらず、幸いにも風向きの影響で放射線量が東京とほとんど変わらない場所まで、あとで考えれば、のちの運命が全く異なる場所を行ったり来たりしていたことになります。数回目の支援として入った4月のはじめ、まだ風は冷たく、場所によってはガイガーカウンターが大きな音を立てていました。すでに立ち入り禁止になるのではないかと噂が絶えなかった内陸部の高線量地域から、津波の被害が甚大だった沿岸部の相馬・南相馬に移動しました。内陸では全く聞かなかった大津波を体験した皆さんからの話を伺うことになり、着の身着のままに逃げたのでまだ靴すらない、でも命は助かったと聞かされました。ある日、ご縁があって相馬中村城に訪問、どうもこの地域の支援はここに集約され、地元有志の皆さんがあちこちに配ってくれているというのです。隣接する神社に幟が立ち、たき火が焚かれ、馬が繋がれて戦国時代の基地のようなその場所に、私たちは物資をピストン輸送していました。「疲れたので、少し休憩しよう」と、石に腰をかけたとき、その桜吹雪が目に入ってきたのです。もちろん、あちこちに桜が咲いていることは知っていましたし、きれいだねとも言葉にはしていました。落ち着いて眺めたその場所から見た光景は、地元の高校生たちがクラブ活動を続けるまわりを縁取るように、満開を過ぎた桜たちが、物言わず、感情を出すことも、悲しみも、慈しみも語らずにひたすらその存在を生きているのです。どの被災地でも、津波に流された場所以外では、同じような光景が広がっていたことでしょう。ある意味、ときに無常であり、または励ましにも悲しみをも強くさせたであろう、そんな桜たちの全存在が心にはいってきたと同時に、そのときのイメージが私の脳裏に定着しました。それでもなお、だからこそ、桜たちは咲くのです。
それでもなお、前を向く。
そのイメージを、複数の社内デザイナーに伝え、何度も何度もやり直しを続けて出来上がったのが、弊社が発売する自然食品とセルフケアのシリーズ「プレマシャンティ」のパッケージデザインです。日本中の食卓に「移ろいゆく存在のすべて」を備えていただい たいと、食品のシリーズにこのデザインを採用しました。規格化され、工業化された食生活に、継続供給の保証もされず、伝統は踏まえながらも、常に変化し続けるという真意を載せたつもりです。「桜が味噌とか醤油のパッケージなんて、売りにくい」「化粧品のように見えて、食べものの感じがしない」「何でも同じ図案なんて、手抜きに見える」と社内外から厳しいフィードバックもいただくのですが、私が伝えたかったのは、桜のデザインや意味ではなく、存在そのままに価値があるんだよ、という一点です。見るものの心の状態ひとつで、桜は違うメッセージを届けてきます。それは桜に限らず、生きとし生けるものとは、そういうものなのでしょう。「人様に迷惑をかけてはいけない」という日本の教育で必ず伝えられる格言ですら、難しい状況を生きる人には凶器にすらなりえるのです。私たちはそうやって、人に迷惑をかけ、自然を破壊しながら生き続けています。たとえどれだけ環境が、健康がと叫ぼうとも、生きていること自体は誰かの、何かの犠牲の上になり立っていることを直視するとき、「ごめんなさい、ありがとう」という心境に至ります。「それでもなお、前を向く。」とは、嘘偽りなく、あるがままの存在を生きるということに対する決意です。大震災で命を失わなかったものの努めは、そこにあると思って、私は今日も人様に迷惑をかけ続けながら、それでもなお、前を向いて生きています。