“嫌いな人はいますか? ” わたしは、いました。何人も。どれだけその人のことが嫌いかを、よく並べ立てて話したりしたものです。「嫌い」と思うと、もうその人が何をしてもとにかく嫌で、さらに嫌いになってしまいます。そして「嫌い」という感情は、とてもエネルギーを奪われるもののようで、嫌いな人を思い浮かべたり、いかに嫌な人かを話すたびにどっと疲れがでてしまいます。“どうしてあんな嫌な人のために、わたしはこんなに疲れて時間をとらないといけないんだろうか” と、思うほどです。
そんなわたしでしたが、先日、ある経営者の雑誌記事を目にする機会がありました。今、伝説のホテルをつくっている鶴岡秀子さんの記事です。その中にこんな言葉がありました。
私の心の中には、昔は「すごく好き」から「嫌い」までいくつものキャビネットがあったのですが、今は「すごく好き」から「まあまあ好き」までのキャビネットしかありません。
お会いした全ての人をその中に入れるのですから、以前は「嫌い」の中に入っていた人も、不思議なもので「まあまあ好き」に入ってしまいます。その上で、相手の良いところを探すようにしています。
“なるほど” です。「嫌い」は、わたし自身の感情なわけだから、わたしがそのように定義づけなければ、そこには分類されることはないんですよね。あたり前のことなのですが、思いつきませんでした。「どんな人にも必ずいいところはある」といわれて探すこともありますが、所詮「嫌い」とカテゴライズされた人のことです。あまり成果はありませんでした。しかし、そもそも「嫌い」のキャビネットがなければ、感情をいちいち大きく乱す必要がないはずです。
わたしは「嫌い」の中でもさらにたくさんのキャビネットをもっていたのですが、試しにそれをすべてひとつにまとめて「まあまあ好き」にドサーっと入れてみることにしました。すると、なんと楽なことでしょうか。今まで「嫌い」ということにしがみつきすぎて、いかに無駄なエネルギーと時間を使っていただろうかと、ばからしく思います。こんなに生きやすくなるならば、この方法は採用です。
というものの、実は、「まあまあ好き」のキャビネットの中に隠し扉を作ってしまいそうなときがあります。やっぱりわたしって…。と思いますが、そこは自分を責めずに、とはいっても、単独キャビネットじゃないんだからと、許して笑っておくことにしておきます。