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世界は音でできてるの

音と人は密接な関係にあり 生きることにも連動している目覚めの1 ページ

声楽家 ピアニスト
ヴォイストレーナー

松本 愛子 (まつもと あいこ)

桐朋学園大学短期大学部音楽科ピアノ専攻卒業。東京藝術大学音楽学部声楽科ソプラノ
専攻卒業。~ 2000 年(財)新国立劇場 劇場合唱団(ソプラノ)所属。オペラのベル
カント唱法を基礎とする、全身活性して感性豊かに本当の声で歌う画期的なオリジナル
発声法を確立。国内外、多種多様な演奏活動をおこなっている。

イーハトーブ、それは愛

投稿日:

私は母の実家がある岩手県花巻市で生まれました。母方の祖母は寺の娘で喉が良く、私は祖母譲りだと、叔母たちに幾度も言われ、歌やピアノに励んできました。岩手、私のイーハトーブ※。記憶に残る、かつての楽園。祖父母の家には薪で焚くお風呂がありました。柔らかな、芯から温まる湯船を、今でも思い出します。裏庭には井戸があり、夏にはそこで冷やしたスイカを、いとこたちと円陣に座り、いろいろな話をしながら、かぶりつきました。秋には大好きな栗の木から、ザクザクとイガの弾けた実が落ちます。家の前には、りんごの木がたくさんあり、一つもぎ取っては、すぐそばの神社の賽銭箱にもたれながら、手拭いでピカピカに磨いてから、かじったり、みんなで鬼ごっこしたり。畑にはたくさんのかわいいアスパラガスが、いろいろな向きと形で地面から顔を出していました。夜には、うっそうと茂っている不気味な林に、みんなで懐中電灯を持って肝試しにいきました。家の脇には素敵な小川が流れ、どじょうなどいろいろな生き物がいました。

今はもうない、イーハトーブ。でも、こうして昨日のことのように、その匂い、その光、その空気などの感触が、私のなかにすべて残っています。そんな自然の周波数は、私にとって、すべて、音楽として認識されている「感性」です。やさしいその記憶が、今もすべてのバロメーターになっていて、体で「知っている」ことにも直結しています。どんなに辛い日々の暮らしがあろうとも、私のなかにはイーハトーブがあるのでくじけません。

※宮沢賢治の造語で理想郷を指す。出身地である岩手(いはて)をもじったとの説も。

祖父に学んだ教育者としての姿勢

祖母は60歳を過ぎたころに亡くなり、その後20年以上、祖父は一人で暮らしました。祖父は戦前・戦後をまたいで教師を経験し、小学校校長もしていました。体が大きく、「道」のつくものは、すべて有段者。やさしく、人格者で油絵も教える多趣味な人。私は一人暮らしの祖父を気遣って、祖母が亡くなってからずっと文通をしていました。

祖父からの手紙には、いろいろなことが書いてありました。自分の教育に対する取り組みを始め、良い面とそうでない面を比較した今と昔の差、社会の出来事、植物の話、絵画の話、生徒さんたちの話。私は祖父から教育の現場を、文通のなかで勉強させてもらったのでした。中学生からピアノ教師として教える仕事をしていたので「真の教育者になるのだよ」と導いてくれ、大事な心得や技術も教えてくれました。祖父は癌になり、最期は、その手術の医療ミスにより、あっという間に逝ってしまいました。そのときのことは、あまりに印象的で鮮明に覚えています。その夜、寝ていると、女性たちと祖父の朗らかで楽しそうな笑い声が聞こえました。祖父はふわりふわりと飛び回りながらやってきて、「愛子ちゃん、楽しいよ!」と語りかけてきました。おじいちゃんが生きてる!と喜んだのもつかの間、「もう行かなきゃ」と言うので、私は寂しくなって「おじいちゃん、行かないで!」と何度も叫んで。祖父は「また会えるよ」と言葉を残し、天女たちと上に上に登っていって、最後は米粒ほどの大きさになりました。代わりに向こうから、金色に輝く座禅を組んだ徳の高いお顔の仏様がどんどんこちらに降りてきて、私の右脇腹でしばらく留まり、スッと体に吸い込まれてしまったのです!

動けるようになって思わず右脇腹をさすりました。

翌日、岩手で祖父と対面して、私は泣きじゃくりながら、今まで二人でやり取りした手紙を何十通もお棺の中に入れ、さよならしたのでした。祖父も祖母もその後も度々、夢で会いにきてくれました。私の音楽、そして、教える技術も心も、そういう愛でできています。今回で、私のコラムは終了です。お読みいただきありがとうございました。イーハトーブは、誰の心にもある。私はそう信じています。

- 世界は音でできてるの - 2019年2月発刊 vol.127

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