理不尽なこと、不条理なことはあります。なんでも科学的になってきた最近の風潮では、なんのためにするのかという目的、必ずそれで成果が出るのかという保証など、あまりにも合理性が求められすぎているように感じます。それでも望むような結果の出ないとき、「まだ努力が足りないんじゃないか」とか、「これだけやっていたのに」とか、残念な気持ちだけが残るのではないでしょうか。
すべてが予測通りに動くことなんてありません。理屈通りに進むものばかりでもありません。ときにはものすごく理不尽なことも起こる。だけど、もしかしたら理屈で割りきれないことを割りきろうとするために理不尽さがあり、理不尽な目にあうからこそ諦められることもあるのかもしれない。そう思うようになりました。
対極を描く
陰陽の原理の一つに「山高ければ、谷深し」という言葉があります。山が高ければ高いほど谷が深く、そうやって自然界はバランスがとれているということです。嬉しさが大きいほど、その後の悲しさも大きくなるというように、感情面においても同じことが言えるでしょう。
このことを応用すれば、もう少し楽な生き方ができそうです。嫌なことがあるとなかなか立ち直れない、という人がいます。こういう人をよく観察していると、嬉しいことがあったときにはいつまでもその喜びに浸っていようとする傾向にあるようです。せっかく良いことがあったのだからと、その気持ちを手放せない。山をいつまでも続かせようとするから、その後の谷も長引くのです。だから、嬉しいことがあったときには、一時喜びに浸れば、思い切って区切りをつける。
人というのは、悲しみなどマイナス感情のときには、よほど強くないと切り替えるのは難しいので、まず、喜びなどプラス感情のときに練習していく。そうすることで、気持ちの切り替えが自分でできるようになってきます。強くなりたければ、弱さを認めることからということなのです。
対話の時代
人と人とがぶつかってしまうとき「自分は悪くない」と主張します。その延長線上には「相手が悪い」がある。そこで「相手も悪くない」と対極を描いてみる。悪いのは自分でも相手でもありません。双方の信じるなかで、お互いに正しいと思うことを主張しているに過ぎません。
「21世紀は対話の時代」とはダライラマ14世の言葉ですが、どちらかが正しいという主張を脇において、お互いを認め合うことの大切さを説いています。対話するためには相手を受け入れる必要があり、対極を想像してみることで受け入れやすくなるものです。
御守りを守る
年末から年始にかけて、お寺や神社にお参りする人もおられるでしょう。その際、お願い事をされることと思います。一生懸命にお願いをしても望むような結果とならないこともありますね。とはいえ、さらに熱心に頼み込んだら結果が変わるというわけでもありません。
お願いをすることは「依存」になります。熱心に依存して叶わないのであれば、ここでも対極を描いてみる。依存の反対は「自立」、自力でやり遂げること。だから、お参りの際には、「私は○○をやり遂げます」と宣言してみる。その方が効力がありそうな気がしませんか。
「御守り」についても同じことがいえます。御守りを身につけているだけで御利益があるとはいい切れません。真の仏教の教えでは、御守りとは御本尊様(仏様)の分身を一定期間預かる行為。御守りが私を守ってくれるのではなく、私が御守りを守る。だから、御守りは大切にしなければなりません。すると御守りを入れているカバンは丁寧に扱わなければならない。やがては物を大事にして、雑に扱うことがなくなる。ひいては自分自身を大切にしていくことになるのです。
物事に行き詰まったら対極を描いてみる。理不尽に思えることが、いつか、あの経験のおかげですと言えるときがやってきます。一日一日を大切に生きたいですね。
圭鍼灸院 院長 鍼灸師
マクロビオティック・カウンセラー
西下 圭一(にしした けいいち)
新生児から高齢者まで、整形外科から内科まで。
年齢や症状を問わないオールラウンドな治療スタイルは「駆け込み寺」と称され医療関係者やセラピストも多数来院。
自身も生涯現役を目指すアスリートで動作解析・運動指導に定評がありプロ選手やトップアスリートに支持されている。
兵庫県明石市大久保町福田2-1-18サングリーン大久保1F
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