このところ、「味変」が流行りのようです。「味が変」というわけではなく、料理の「味」を「変化」させていくこと。料理を食べていく途中の段階で調味料や薬味を追加したり、食べ方を変えたりして変化させながら食べ進めるものです。味変の先では、よりマイルドへと変化させていくとは考えにくいので、味は濃くなるし、刺激は強くなっていくことでしょう。変化をつける必要があるほど味に飽きてしまうこと自体、すでに食べ過ぎの気がします。
「空腹こそ最高のスパイス」ともいわれる通り、空腹であればなにを食べても美味しく食べられるものです。味変してまで食べることを続けていては、いつかは体調を崩しそうですね。
同じであること
数年ぶりにコンサート・ツアーを再開するベテランアーティストが、「各地での美味しいお店は?」と尋ねられて、「知らない。旅行しているのではないから」と答えていました。地方や海外での公演でも、極力普段と同じものを食べるようにしているそうです。喉のケアも考えれば、刺激物をライブ前日に口にするなどあり得ないでしょう。
環境が変わるなかで、自分は変わらず一定を保つ意識は大切。各地を転戦する点では、プロ野球やサッカー選手などは毎週のように移動を重ねます。派手に見える生活も、実は一流と呼ばれる人ほど派手さから距離を置いているようです。派手な生活を続ければ、その先で引退を早めてしまうことにもなりかねないし、また引退後も派手な生活から抜けられずに誤った方向に進んでしまうことだってあるかもしれません。
プロとして結果を出し続けるために、同じものというのが一つのポイントになるようです。できるだけ同じようなものを食べて体調を崩さないようにしつつ、また一方では同じものなのに味が変に感じることで自分の体調の変化を自覚する。同じサイズの服なのに窮屈に感じれば、節制が必要だと感じ取れるかもしれません。同じような色の服を着ていることで、いつもよりも肌がくすんで見えることに気づけることもあるでしょう。同じものに支えられることで、自分を整えることができるものかもしれません。
選択する自由
選択肢の多い時代に生きていて、いろんなものを否定するつもりはありません。派手な生活にあこがれてそうするのも、もちろん良いでしょう。食べたいものを食べたいだけ食べるのも、自由。一方でやりたいことをやりたいようにやっていくためには食を制限するのもまた自由なのです。同じものにこだわることも大事ですが、気分転換だって必要でしょう。
ただし自分のなかに軸となるものを持っていないと、味変と同様に刺激は強くなるし、派手さは増していきがち。そのことを認識できていれば大きく外れてしまうことはなさそうです。
仏教には「三業」とあって、「身業」「口業」「意業」の三つを整えることで健康な身体を維持できると考えられています。「身業」は身体を整えること。美しい立ち居振る舞いを心掛けること。運動を心掛けて、身体を鍛えることも含めることもできるでしょう。「口業」は言葉づかい。感情的になって汚い言葉を遣うことなく、いつも穏やかで思いやりのある言葉を心掛けること。味変のように飲食も「口」に含めても良いかもしれません。この「身業」と「口業」が整って初めて「意業」すなわち心が整うことになるのです。心を整えるという言葉がありますが、いきなり心を整えることは難しいものです。
日々選んでいく小さなものの積み重ねで、自分というものができあがるのです。いまの自分の姿は、自分が選んできたものでできている。一方でこうなりたいと願う姿があれば、そうなる選択をこれからしていけば良いのでしょう。すべては自分次第ですね。