春は引越しの季節。引っ越し先でのおすすめの治療院を訊かれることがありますが、答えに困ります。はり師やきゅう師の国家資格の保有者は全国で約18万人。鍼灸院のほか、接骨院や整骨院、マッサージなども含めた治療院は、コンビニの数よりも多いという統計もあるほど。ご自身で見つけてもらうほかありません。
師匠と弟子
治療を受けてみないと良いかどうかの判断のしようもないでしょう。その前提で一つ挙げるとすれば、「お師匠さんはどんな人?」「お弟子さんは?」と尋ねてみることでしょうか。技術や知識はともかく、人柄が表れる質問だと思います。
今年の春、ある噺家さんの急逝に際し、お師匠さんの贈る言葉が印象的でした。「師匠が弟子の弔辞を読むのは考えられない」と嘆き、「お前のおかげで師匠になれた」と感謝し、「弟子が師匠を成長させる」と結ばれていました。お二人の人柄も関係性も伝わってくるものでした。
芸の道の修行や、師弟関係のあり方は「守破離」と称されます。師匠から教わった型を「守」り、より良いものを模索し既存の型を「破」る。さらなる鍛錬と修業から発展させ、型から「離」れて新たな流派が生まれるとされます。「型があるから型破り、型が無ければ形無し」といわれます。教えから離れても根底にある精神は見失うなとの教えでもあり、師匠と弟子の関係とは、根っこの部分ではつながっているものでしょう。
これは芸事に限った話ではなく、治療家にも共通する教えです。治療家は、一に患者さん、そこに師匠の「守」、教科書の「破」、弟子の「離」と考えています。治療である限り、目の前にいる患者さんがすべて。どんな特別な技術でも患者さんが「まだ痛い」と言うなら「痛い」のが真実。独りよがりではいけません。
まず師匠。技術や知識は師匠から教わり身につけるもの。師匠の教えに対して口ごたえすることなく、言われるままにやる。なにも考えずとも体が勝手に動くくらいまで積み重ねて型が染みつき、「守」るものができます。できるようになったことを、教科書や書籍を参考に理解を深め、再現性を高める。初めて出合うようなことも、「師匠ならどうするか」と想像の世界で師匠の知恵を借り、自分なりの考えができるようになると、「破」に進みます。
自分ができるようになっても、後進に伝え、人を通して結果を得るのは難しいもの。弟子を迎え、できるまで見届け、自分のもとから「離」れさせ、ようやく一人前だと思うのです。少なくとも若手から「先生の下で学ばせてください」と慕われるのも魅力でしょう。師匠と弟子についての質問から、その人の人柄や、成長してきた過程が垣間見えるのです。
ちなみに、私の師匠は正直で、探求心が尽きず、行動に移すのが早い人でした。さらに私の下で学んだ弟子も素直で好奇心に溢れ、良くも悪くも顔に出やすいタイプでした。私のことを周りに尋ねれば、「ときに厳しく、でもウソは言わない」「実証して確かめる力がある」と言われます。正直さと行動力を代々受け継いでいるようです。
師弟関係の風
禅の言葉に、「春風咲万花」とあります。春の風はあらゆる草木の花を咲かせることから、良き師(春風)は傑出した人材(花)を咲かせる、という意味です。春の風のような穏やかさで、あたたかく見守って人を育てることを説いています。良い風が花を咲かせるように、花の美しさを際立たせるために風が吹く。風がなければ花は舞えないし、花がなければ風は見えない。師匠が弟子を育て、弟子がまた師匠を育てる。佳き師弟関係は、これからの時代も続いてほしいものです。