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インタビュー取材しました。

よそおうということ〜自然化粧品の歴史〜 前編
リマナチュラル株式会社 岩渕春雄氏インタビュー

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「自然化粧品」と聞くとどんなイメージがわきますか?ナチュラル志向や、敏感肌の人が使っているもの……というイメージだけではなく、スローライフの広がりとともに、「オーガニックコスメ」「ノンケミカル」などの言葉も見かけるようになってきました。そんな自然化粧品を、高度成長期真っ只中の50年前から生産販売していたリマナチュラル株式会社の岩渕社長に、自然化粧品や、日本の化粧品文化の歴史についてうかがいました。

高度成長期に逆行して始まった自然食運動

リマナチュラル株式会社 代表取締役社長
岩渕 春雄(いわぶち はるお)

 

 

 

 

 

 

―自然化粧品を始められたきっかけについて教えていただけますか?

岩渕 弊社は今期で31年目。前身となるリマ化粧品ができたのが約50年前です。当時は自然化粧品なんて世の中にまだない時代。そのなかでまず自然食運動が始まりました。リマというのも自然食運動(マクロビオティック)の指導者である桜沢如一の妻の名前です。不健康な時代背景のなか、食や健康について疑問を持ち始めた消費者がいたのです。それが今の、オーガニックや自然食というテーマにつながっていきます。当時はまだ大量生産、大量消費の時代、いかにコストダウンするかばかり考えられていました

―かなり時代に逆行していたのではありませんか?

岩渕 そうです。僕の場合は、自分のからだが悪くて自然食を勉強したというわけではなく、ご縁があったのがきっかけです。癌など、原因がわからない病気が増えてきた時代でした。西洋医学や東洋医学という考え方がありますが、そういうものに興味を持ったのです。当時、癌についての捉え方は【ガンは恐くない】(森下敬一著・出版文理書院・1969年)などにあるように血液理論でした。

以降、西洋医学がメインの時代が続きます。東洋医学はつい最近、見直されていますが、当時は農業も医学も東洋医学的な考えは古いとされ、すべて西洋のものが斬新でいいという時代だったのです。 20代の僕は、なにか新しいことをやらなければと考えていました。自然食運動の発端は、明治時代に医師の石塚左玄、さらにその前に、江戸時代末期の儒教者、貝原益軒に遡ります。

―貝原益軒の『食養生』ですね?

岩渕 そうです。マクロビオティックは、桜沢如一が言い出したことではなく、本来、日本人の文化としてルーツがあった。
しかし、明治維新があり江戸幕府がつぶれて新生日本になって、どんどん欧米文化が入ってきて食生活が欧米化した。そして、昭和で戦争に負けてから一気に、「日本のものは古い」という時代背景になっていったのです。マクロビオティックは「大自然に順応する」という生き方ですが、大自然に順応しない文化になり、化粧もその流れに巻き込まれていった。

―本来の日本の食文化を取り戻すということですよね?

岩渕 そうです。そもそも素晴らしい食文化が日本にはあった。よく考えてみると、明治維新から始まり戦争で負けた昭和初期の、ごく刹那の期間で急激に欧米文化になり、食生活も肉食の文化へと変わっていきました。そして、最近になって、今度は和食は「すごい」と見直されるようになってきたのです。

 

マクロビオティックはイコール「玄米正食」ではない

―マクロビオティックは逆輸入するために海外からまず広められたと聞いたことがあります

岩渕 欧米にもマクロビオティックの愛好家がたくさんいます。近年の日本での広がりは海外からの影響もあるのでしょうね。よく勘違いされていますがマクロビオティックは、「玄米正食」という意味ではありません。いわば新しいライフスタイルです。そのなかに食文化として玄米食や陰陽などの考え方がある。玄米食は日本古来の食文化のルーツですよね。玄米は少量で満腹感が得られますので、さほどおかずも要りません。中庸ですので、何かを補う必要もありません。

陰陽どちらかに傾いているから病気になるわけですが、多くの病気の原因は陰性過多。陰性に傾いていたものが中庸になると、健康が取り戻せるわけです。この考えが病気の人に広く受け入れられたのです。

マクロビオティックのマクロとは、「巨視的」という意味で、「微視的」を意味するミクロの逆です。つまり、大きな目で見ることを意味します。玄米は、一物全体という考えに近く、白米は遠い。だから、はい芽米や玄米を主軸とする人が増えたのです。

でも、玄米だけずっと食べていればいいのかというと、そうでもありません。玄米は体を締める力が強いのですが、日本の春夏秋冬のなかで夏は暑いので、体を冷やしてくれる麦のほうが食べやすい。それで、夏は麦の文化、そうめんが生まれたのです。そういった視点が抜け落ちてしまい、いつの間にか偏って限界がきてしまうわけです。

本来の「塩」は命をつなぐもの

岩渕 砂糖や塩の歴史にしてもそうですね。減塩、減塩といわれますが、戦国時代には、塩を送る、塩を見繕うといっていた。つまり、塩は、命を守る・つなぐものだったのです。「敵に塩を送る」というのは悪意ではなく、敵であっても援助するという意味ですよね。

今は自然塩がだいぶ広がってきましたが、1997年の自由化までは、専売公社によって科学塩が売られており、99・9%が塩化ナトリウムでした。なぜこれがいけないのか。ミネラルなどさまざまなものが入った状態の海水を塩田で干して作ったものが本来の塩。その成分を見てみると塩化ナトリウムが多いからと、塩化ナトリウムだけを抽出して「塩」として売った。そのために、日本人の病気が増えてしまったのです。しかし、そんな時代にも海水で自然塩を作っている会社がありました。「海の精」です。当時は販売することができなかったので「寄付金をくれた人に配布する」という形をとっていたので、弊社もそういう運動に協力しました。

少し話がそれましたが、このように、まず「食」ありきで体全体の健康が大切。そして、よそおいとしての「化粧品」にも目が向けられるようになりますが、高度成長期に訴訟問題になるようなトラブルが起こります。以来、自然食運動のなかから、少しずつ化粧品の安全を求める声があがるようになっていくのです。

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よそおうということ〜自然化粧品の歴史〜 前編リマナチュラル株式会社 岩渕春雄氏インタビュー

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