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特集

インタビュー取材しました。

京町家が教えてくれる持続可能な住宅  前編
末川協建築設計事務所 設計士 末川 協氏&株式会社大下工務店 代表取締役 大下 尚平氏

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あらたな店舗のために弊社が手に入れた京町家の物件の改修をお願いしている「京町家作事組」は、京町家の改修・修繕に携わる設計者・施工者が集まる技術者団体。その会員で、弊社の物件に関わってくださっている、設計士の末川協氏、大工の大下尚平氏に、京町家の改修に関わった経緯や、京町家の魅力について伺いました。

京町家作事組・末川協建築設計事務所 設計士
末川 協(すえかわ きょう)

1964年京都府京都市生まれ。大学時代は京都の歴史的景観の保全を専攻。11年間の設計事務所勤務では各地の公共文化施設の設計監理を行う。3年間のブータン王立司法裁判所勤務の後、2004年設計事務所開設。京都の町家を主とした伝統構法による建物の改修設計を手掛ける。その他、2014年巡行復帰した祇園祭大船鉾の木部設計、2022年巡行復帰予定の祇園祭鷹山の木部設計を担当。
末川協建築設計事務所:https://www.kyosue.com/

京町家作事組 副理事長 施工担当・株式会社大下工務店 代表取締役
大下 尚平(おおした しょうへい)

1980年京都府京都市生まれ。父親の後を継ぎ、京都で工務店を営み、年間を通して京町家に携る。平屋、厨子二階から本二階、仕舞屋、長屋、大店と借家、また織屋、花街、銭湯や工場など、営まれる職種により様々な特徴がある京町家をひと括りにすることなく、常に復元を念頭に置き、日々作事に励む。
大下工務店:http://www.oshitakoumuten.com/

千年も持続可能
日本の風土に合う町家

——そもそも「町家」とは、というところから教えていただけますか?
末川(敬称略) 町家の定義は、京都の歴史的街区にある伝統構法で建てられた都市型の住居。伝統構法とは、大工さんが一本一本の材木に仕口や継手といった凸凹を施し、金物を使わずに木を組む「木組み」の軸組工法のこと。建てられた時期については、京都の町は蛤御門の変でほとんど焼けていますので、幕末以降に再建されたものです。日華事変下において木造建物建築統制がかかり、昭和26年に建築基準法ができ、町家の再生産ができなくなったので、約150〜80年前に建てられたものを総じて町家と呼んでいます。

——京町家作事組ができたきっかけについて教えていただけますか?
末川 20数年ほど前に、京都市の建築の伝統構法に関わる展示イベントがあり、大工さんや各職方が集まる機会がありました。それをコーディネイトしていたのが京町家再生研究会で、そのときにできた縁を使って、棟梁を中心に町家に特化した職人集団を組織しようということになりました。町家の改修、伝統軸組工法のリバイバル、若手職人の育成などを目的に京町家作事組が作られました。「町家の再生」について世間ではあまり求められていなかったころで、最初は「直してくれる人が見つからない」「よその工務店から、もう潰すしかないと言われたが本当に潰さないとだめか」といった駆け込み寺のような位置づけから始まりました。当時、京都市は町家も戦後の在来工法の家も区別なく耐震診断していました。町家がそんな戦後の仕様規定に合うわけがありません。その結果、地震に弱いと判断され、取り壊す流れになってしまっていたのですが、実は、そんなことはありません。
大下(敬称略) 建物の強度に対する考え方が戦前と戦後で全然違うんです。戦前は、大工がどうすれば長持ちするのかを考えて家を建てていました。建て替えるのではなく修理し続けて家を持たせるという考えで建てられたのが町家なんです。そして、戦後は、コンクリートの基礎を造るとか、剛い壁がどれだけ要るとか、木造の軸の組み方も変わってきて、大掛かりなメンテナンスが容易にできない建物になってきました。すべて建築基準法に則るということで大きく変わってきたんですね。
末川 戦後の住宅供給政策ですね。不動産の耐用年数が30年、減価償却も30年、資産価値がゼロになるのが30年。ローンも30年。つまり、30年ごとに建て替えるプログラムで建設しようと、今でいう国交相は住宅供給政策を考えた。でも、町家は大下さんが言ったように、手入れさえ続けていけば半永久的に持つ。京都は古くてもせいぜい応仁の乱以降ですが、奈良に行くと千年を超える木造も普通にあります。日本の風土に合うのは、こういった伝統木造しかないだろうという結論ですね。
僕が大学生のころはコンクリートは百年持つといわれていたけれど、実際には持たない。その前の世代は二、三百年持つといわれていたそうです。だから国立京都国際会館など、現状は大変なことになってしまっている。我々も町家に住むお客さんに「隣にマンションが建った」と相談されたりしますが「マンションのほうが早くなくなりますから」と伝えています(笑)。持続可能というプレマさんの取り組みとも重なりますが、町家の素材はとにかく、木、土、草、紙……と身近なもので作られていて、すべてが土に還る材料なんです。大阪湾に埋め立てるしかないような建材は出ません。中川社長が町家にシンパシーを持ってくださるのはよくわかります。

——お二人の経歴について、それぞれ伺えますか?
末川 大学を卒業後、大阪の設計事務所で11年修行しました。当時は現代建築で、公共物件の中小規模の文化施設ばかり担っており、長浜市曳山博物館、滋賀県立大学などコンペで取っては設計していました。そこから3年間、青年海外協力隊でブータンに行き、帰国してから京都で個人の事務所としてやっていこうかと。バブル後の「失われた十年」のころで経済は冷え込み京都の景観も本当にボロボロになっていたので、京都で独立するなら、古い建物の改修だけをやっていこうと決めて2004年から始めました。同時期に京町家作事組にスカウトされました。もう18年になりますが、新築を設計したのは京都市内では、大下さんのお父さんとの1件だけ。後は祇園祭の鉾。大船鉾や来年二百年ぶりに復活する鷹山の設計をさせていただきました。

若手育成のための
京町家棟梁塾を開催

大下 僕の場合は、父が大工で工務店をしていました。職業訓練校に行き、そこでひと通り大工として必要な理論を学びました。今思えば、新築の日本家屋を建てる技術を学んだことになるかと思います。手で墨を付け、手で刻む、手で木を組み、手で家を建てるというところまで。それに必要な刃物の研ぎ方や使い方、差し金の使い方など大工のいろはを習いました。京町家で必要な技術に重なることも多く、良い仲間もできました。卒業後、工場で加工した材木「プレカット」が流通し始め過渡期になったのを覚えています。あるとき、農家の改修工事の担当になり、父に同行して訪れました。キッチン、お風呂、洗面所などの水回りを改修する工事だったんですが、中を解いてみると、やっぱり今の家とは違って、京町家と同じような構造だった。石の上に柱が立っていて、竹を編んで土をつけた土壁で……という建物だったんです。「学校で習ったことと全然違う!」と驚きました。同じ日本家屋でも基礎も土台もあるような家屋を習ってきたので、どう直したらいいのかと。そのときは、水廻りだけだからよかったけれど、構造がどうなっているのかわからない。僕はこの建物のことをどこで勉強したらいいのかと思っていたら、新聞で「京町家棟梁塾」の塾生募集の広告を見つけて、ここならその答えがわかるかもしれない!と思って25歳で塾に入りました。そのときの講師のひとりが末川さんなんです。
末川 京町家作事組が当時開催してたんです。僕も町家の実務経験が少なかったので、とにかく自分が勉強したいことをリストアップして片っぱしからやりました。あの塾はよかったですよね。
大下 はい。そこで末川さんにも、昭和一桁生まれの大棟梁、荒木さんにも出会えました。当時の塾長で知識や経験を惜しみなく教えてくださる方です。
末川 僕らから見たら神様みたいな人です。アラキ工務店の会長さんで、京町家作事組の副理事長でした。
大下 塾で習ったのは棟梁になるためのノウハウ。大工の工事というよりも、もっと広く浅くといった内容でした。町家を建てる・改修するためには、瓦屋さん、左官屋さん、表具屋さん、畳屋さん、庭師さんという各職方の仕事の内容やグレードがわかっていないと務まらない。お施主さんとのやり取りについても、京都のお施主さんは文化力が高く教養があるので、そういった方たちと話すためには、それなりに文化的な知識も理解していなければならない。ということでお茶や生け花のいろはを教えていただいたこともあります。実地でいうと、べんがらや柿渋を塗るといったこともありましたが……。
末川 木舞を編んだりもね。
大下 ありましたね。大工の技術というより幅の広い知識を学びました。そこで京町家ってすごいな、おもしろいな、これから僕が大工として仕事をしてくのなら、町家を改修する仕事をやっていけるようになりたいなと思いました。それが転機となりました。手で墨を付けて刻むということを修行してきた経験があったことも、今とても役立っています。もしも、プレカットでしか修行していなかったら、いざ町家の改修をしようと思っても、すごく困っていたと思います。

現場で他社の棟梁から
町家のいろはが学べる

——そこから京町家作事組とはどう関わるようになったのでしょう?
末川 町家棟梁塾の一期生のなかでだれかを京町家作事組にということで大下さんをということになりました。彼が一番若かったんですが優秀だったので。
大下 最初は、アラキ工務店さんや山内工務店さんのところで、小さな仕事をいただいたり、応援で町家の改修に入らせてもらったりして、そこから京町家作事組に入らせていただき、五条近くの楊梅通にある町家の改修工事を初めて担当させていただきました。

——いわば競合でもある工務店さんのところで一緒に仕事をして教えてもらうことができるのは貴重ですね。
末川 おっしゃる通りで、商売敵になるであろう若い子たちに惜しみなくなんでも教えてくださる。京町家作事組は改修工事を請け負って稼ぐという側面もありますが、地元の資産のためにみんなで力を合わせていこうという認識もあります。そのために本業で稼いで京町家作事組の活動は社会貢献というスタンスの会員は多いと思います。
京町家作事組は、将来的に「新築の町家を建てる」ことも目標としています。現在、建築基準法で伝統軸組工法による建造物については、複雑な審査を経て通る場合もあり、現状の耐震診断では未だに町家の構造について正しく性能を評価されていません。そのために既存の町家と同じ構造で新築を建てることができないんです。これについては、京都市の指導課や審査課にもはっきり伝えています。長いこと混同しておられましたが、性能評価と状態評価は違うんですね。状態評価は、足元が腐っていたり、仕口(材木の接合部分)が緩んでいたり、シロアリが入っていたり、どこかが折れていたり、見たらわかるし確実に直せます。それと性能評価を混同されて数値化された基準で町家の耐震強度を診断するのは違います。町家の本来的な性能についてはまだまだ数値化できていないところもあるのです。そのため町家の新築への筋道を作ることもひとつのミッションです。若手の育成はしてきましたが、あ、もうそんなに若くもないけれど……。
大下 そうですよ。もうあまり若くないのでもう一世代下の人を(笑)。
末川 またやらんとね(笑)。伝統軸組工法のリバイバル、若手の育成、そして、町家の新築。この三つが京町家作事組のミッションといえるでしょうね。
——改修での設計がイメージしにくいのですがどんな感じなんでしょうか。

末川 家を長持ちさせるために、建物の傷んでいるところを調査してどう改修するかを考えます。ほとんどの町家は改変されていて、高度成長期やバブル時代に大工ではない人がしたであろうあまり良くないリフォームがあるので、それを元に戻す。また、宿やカフェなど、今の生活に合った形に改修するのですが、「できるだけ材料は土と木だけでいきましょう」「お店にするとしてもいつか住居に戻せるようにしましょう」といった提案をします。

——一度きりではなく、いつかの改修を考慮するということなんですね。
末川 後々の手入れはもちろん、いろいろな使い方ができるのが町家ですので、その可能性を縮めてしまわないようにということですね。(次号後編に続く)

- 特集 - 2022年2月発刊 vol.173

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