新しい年を迎えるために整えて、調和する生き方へ2 |
悪いものを切るのではなく良いものに変える。前号に続きアポロ科学研究所製品の紹介です。今号では、開発から販売へ、アポロ製品の紹介をともに手がけるS・Yアポロ代表の佐藤社長にお話を伺いました。
らくなちゅらる通信編集部 河村郁恵(以下、河村):なぜ、今、アポロ製品を広めようと思われたのでしょうか?
株式会社S・Yアポロ代表取締役 佐藤芳直(以下、佐藤):(アポロ製品開発者の)末廣先生のことはおそらく20年近く前にご紹介いただきました。天と地を結ぶ力であるとか、宇宙エネルギーを入れた商品とかというのはいろいろ接していたんですが、アポロの製品は一番理解しやすかった。それは末廣先生のお考えが、昔から日本にあった考え方を研ぎ澄ましたような考え方だったんですね。
日本は、昔から職人が尊敬されてきた国なんです。神業みたいなの作るよねっていう人がいるでしょ。そういうものを作り出すような人たちが「お職人さま」って言われてたんです。世界で職人が尊敬されている国ってほとんどないんですよ。たとえば、中国は、刀を作ったときも銘を入れないんですね。日本刀は柄を外すと銘が入っていますね。あるいは陶器にしても裏返せば紋が入ったりしてます。ヨーロッパにはマイスター的なものがあるじゃないかという方もいるんだけど、それはあくまでも技術をランク分けした称号であって、お職人さまのように尊敬されている称号ではないんですね。
お職人さまが育てられる環境っていうのは、「背中を見て覚えろ」。それは、生活を真似しろっていう意味なんですね。整える、清める、姿勢を正す、それを続ける。整、清、勢、続って私は言うんですけども、その4つを生活の中できっちりやる。そういう生活の中で一人一人の気づく心を養っていく教育法だったわけですよね。そうすると、気づく力もつくんだけれども、実は直感が磨かれる。人間性が高まっていくから。小さいことに気づく目っていうのは、直感と一緒なんですよね。それが神業的な力を発揮することになるんですね。
「工人」って言うじゃないですか。(「工」の)上の短い棒は天を、下の長い棒は大地を指します。そして真ん中がつなぐ人。つまり天の力を地に降ろす力を持った人が工人だったんですね。「天佑」って言葉もありますね、昔は「天佑神助」って言ったんですけど、天の助け神の助け。これ、神頼みってことじゃないんですよね。天の持っている力を常に地に降ろすことができるような人を言っている。つまり神の助けをまるで手に持っているような人たち。
アポロ製品の考え方っていうのは、大地のエネルギーを天に送って、天のエネルギーを大地に持ってきて循環させる。それはお職人さまの考え方とよく似ていて、すごく理解しやすかったことがありますね。今の時代は、電磁波であるとか、あるいは環境の問題が多いと私は思っているんですが、天のエネルギー、大地のエネルギーが弱まっている時代だという気がします。そのために、いろんな病気ですとか、精神的なものが起こりやすい。空間をよくするためには、ますますアポロの製品は大切だなと思うわけです。
河村:使おうかどうか迷いがある方のきっかけになるものってあるでしょうか?
佐藤:分かりやすいのがコンセントだと思います。私はこれ(アポロ・ピッコロ・シン)を持ち歩いています。その方によって効き目があるものがあると思うんですよね。
ただ大事なことは、人間のいろんな力の中でもっとも強いのは、私は「想念」だと思っているんですね。たとえば、ちょっと調子が悪い人がいたとします。地球の裏側でこの人がよくなるようにみんなで想いましょうってやると、なんか血圧が下がったねっていう現象が起こることがある。想いって瞬間的に飛ぶじゃないですか。光より速いですよね。
信じないっていうエネルギーはどんな効果も打ち消すんです。この薬はあなたの病気を治すのに最高の薬ですよと言って小麦粉を飲ませ続けると改善する、これは小麦粉ですと言って素晴らしい薬を飲ませ続けても効果がない、やっぱり想いの方が強いということがあるんですね。何でも盲信しろってことじゃないですよ。使われる以上は、どんな効果があるんだろうって楽しみにしたらいいですね。信じなくていいです、楽しみにしたらいいです。ワクワクする気持ちは効果を倍加させます。
河村:アポロ製品には日本の心があるというか……今までそういうとらえ方をしたことがなかったので新鮮です。
佐藤:たとえば、仏教は今のインドで派生して中国を経由して日本に来たけど、日本の仏像って群を抜いているんですね。文化が東へ東へやって来てたどり着く、日本は終点なんですよ。いろんな技術がまるでぐつぐつ鍋で煮られるようにして融合してきたんですね。宗教観も、ユダヤ、ヒンドゥー、イスラム、仏教……いろんなものが入って来て、全ゆる宗教観を融合したものが神道ではないかと感じます。
いろんな宗教とか技術とか文化がごそっと入って来ましたから、日本は人間の本質を考えやすいような場所だったんですよ。たとえばイスラムの世界では、イスラムの戒律に則っているのが人間らしい暮らしですよね。日本は「和らぎをもって尊しとなす」。何も否定しないし、排除しない、ものすごく緩いですよね。緩いということは多様な力を発揮できるってことです。
ただ一つだけすごく大事なことがあったのが、日本の社会は世襲制だったでしょ。それから安定定住社会。ですから、親から子へ、子から孫へ、伝承がされやすい。その中で、正しい暮らし方っていうことが伝わりやすかったっていうことです。お天道様が見ているとか、ご先祖様に顔向けできないことはするなとか、故郷に錦を飾れない人間はだめだとか、「3つの畏れ」の教えっていうんですけど、そういった日本という社会基盤が作られてきたわけですよね。
河村:ただ、そういった日本らしさは、批判されることもありますよね。
佐藤:たとえばキリスト教の国であれば、キリスト教という縦糸があるんですよ。つまりキリスト教の教えに従って正しく生きなきゃいけない。日本は宗教的縦糸があるようでないんです。昔から引き継いできた道徳、これが縦糸だったわけです。強い社会基盤があったんですね。それが古くさいとか堅苦しいものとして認識された時代があったんですね。もうひとつは、戦後、日本的な基盤を壊そうという動きがあった。日本って変だよねという、もっと言うと劣等感を植え付けられてきたんです。でも、2011年3月11日の震災以降、日本って何なんだろうって考え出して、もうちょっとちゃんとしないといけないんじゃないかなっていう気風が生まれているんですよね。揺り戻しが起きている最中だと思います。
末廣先生は非常に日本的な風土の中でアポロを作っていらっしゃいますね。福井県の永平寺。あそこの中学校は、校門に入るときにちゃんと帽子を取って一礼するんですよ。掃除も生徒達が廊下をぞうきんがけするんです。福井っておもしろくて、日本人の幸福度県別ランキング1位、学力が2位でしょ。それから長寿ですね。そういった風土の中で作られているということも、私は一つアポロ製品が持っている力の大きな源泉だと思いますね。
河村:3・11はやはり大きなきっかけになり得たのでしょうか。元に戻ろうとする力もあるように感じていて……
見えない力を信じる、思い出すことが次世代への鍵 |
佐藤:あの震災でたくさんの人が公務に殉じて亡くなりましたね。日本人は戦後70年間、命より大切なものはないって教育されてきたんです。もちろん命より大切なものはないですよ。でも、時に命より大切なものが出てくるんです。
ところが日本の社会で、命より大事なものがあるというのは、ものすごい禁句だったんです。でもいざとなったときに、最後まで避難を呼びかけて亡くなったり、人命救助に向かって亡くなったりした人がたくさんいましたでしょ。変な表現ですけど、魂の揺り戻しがあった気がします。自分の命は誰かのために使うものなんだという。それは誰かの犠牲になるって意味じゃないですよ。
よく申し上げるんですけども、8時間仕事をするってことは、8時間命を使っているんですよ。たとえば、あの人素敵な人だったねって思ってもらえる。誰かの記憶に残れば、そこに生き続けるかもしれないですよね、自分が使った時間が。あんな人と二度と会いたくないよねって思われたら、自分の使った時間が無駄になったことになるじゃないですか。「命を大切に」っていうのは、誰かの記憶の中に生き続けることかもしれないですね。
自衛隊員が、自分たちの休憩時間に、一生懸命写真を拾い集めました。すると、いろんな物を探しに来た人たちが真っ先に写真のところに行く。何を意味しているのかというと、人間にとって、財産も家も大事なものです。でもぎりぎり追い込まれたときに、真に必要なものは思い出だってことです。そういったいろんなことが皆さんの胸に宿った。そのことが命ってことを考えるすごく大きなきっかけになった気がします。
河村:ただ、下手をすると変に利用されちゃうかもしれないですよね。
佐藤:それもあります。でも、そこは日本の社会を、あるいは私たちの遺伝子を信じるしかないと思いますね。サッカーのW杯でコートジボワール戦があったでしょ。あの後、日本の若者たちがゴミ拾いをして世界中に報道されましたよね。海外からしたら仰天物なんですよね。汚いところはいやだなという思いが、ああいう行動になって出る。そこは「信じる」だと思います。自分たちの遺伝子とか、民族性を信じるっていうことが、一番の歯止めだと思います。だから歴史を学ばなければだめだよっていうふうに言ってるんですけどね。
日本人というのは目に見えないものを一番信じてきた民族ですね。世界で日本ぐらい何でも神様っていう国はないでしょ。それは、ものすごく見えない力を感じる力があったから。そこに行くと気持ちがいいとか、ほっとするとか。今、パワースポットとかブームになっていますが、やっぱり見える世界だけの限界っていうのを一番理解しやすい民族でもあると思うんです。見えない力というのは統合されてるって日本人は思ってるんです。キリスト教、イスラム教、神道、仏教……じゃなくて、神様。Godじゃない神様。自分を超えるものがある。そういう見えない力があるんだなってことを、さっき言った2011年以降の先祖返りの状況の中で思い出してるんだと思うんです。
ただし破れない壁があって、目に見えるもの以外信じちゃいけないという教育が70年間されてきましたよね。理論、理屈を求める。でも(アポロ製品のような)こういう製品は、理論の中に必ずブラックボックスがあります。言葉にできないから。本当にすべてのエネルギーを論理的に説明することは、まだ無理ですよね。こういう考え方ですっていうことはあったとしても。どうして神社で手を合わせるのって理論的には説明できないじゃないですか。水場に小さな祠があったら、そこで汚い洗い物をしようとは思わないはずです。
河村:そう考えると不思議ですね。神様のお話はあるけれども……聖典とか決まりがあるわけではないし。
佐藤:神話って非科学的だっていう方が多いですけども、世界中に科学的な神話はないって私は言っているんですね。大事なことは、昔の人がそう思っていたということですね。伝わってきたということは、ありきたりな言葉で言えば効き目があったということです。古事記とかっていうのは、突然に作られたものが当時の人たちでも受け入れられるはずはなくて、ずっと言われ続けてきたことがちりばめられているんです。ただ今の時代は、目に見えないものを否定する力がまだ強い。でも、徐々にですが、やっぱり根本にある見えない力を信じるというすごく大事なところが動き出してきている。もう芽生えている。芽生えているものは、つぶされなければ伸びていく。
河村:つぶれちゃう可能性も……佐藤:ゼロではないですね。たとえば、波動ってついた商品が一時いっぱい出ましたね。うちのは本物でこっちは偽物だっていう人たちがいっぱいいたじゃないですか。Aが本物でBが偽物だって言ってしまうと、情報が入んなくなるんですよ。1000情報があって、本当に有用な情報ってのは2つか3つかもしれないんだけど、それが大きな発見につながるってことがあるんです。1000が入ってこなくなると、大きな発見にいく道筋が閉ざされていくんですね。
日本人の本性というのは、俺も正しいけどあいつも正しい、あいつもちょっと変だけどもいいところもあるっていうもの。この日本人的感性が、見えないものを見る力を高めてきたと私は思います。偽物は必ず消えていきます。何も言わなくても本物だけ残ります。ただ、見てればいいんです。なくなったものが偽物です。
河村:アポロ製品には、その力があると。
佐藤:万物は波動ですね。人間も波動です。それから、人間は電気生命体です。生体電気の中で自分たちの動きが生まれてきていますね。
アポロの製品というのは、整える力が強いんですね。たとえば、いろんなものは、分子でできていて、原子核がありますでしょ。それが同一方向を向かなくなる、つまり整列しなくなることが劣化だと私は思っているんですね。アポロの製品はそれを同一方向に高速に整える力がある。人間の生体電流にも影響を及ぼしますし、物の浄化にも役立つというところがあるんですね。
河村:浄化っていうのは結局整える?佐藤:「清い」と言うじゃないですか。なぜ清く感じるかというと、整っているからなんです。
その整える力がアポロの製品にはありますから、そういう意味では人間の気持ちも整える。アポロの製品を持っていると場ができてるわけですね。ですからあまり(良くないエネルギーの)影響を受けない。
もうひとつは、異種同質化能力っていう言葉があるんですけど、たとえば、企業っていろんな能力が入ってきて、ちゃんとその会社の文化になじまなければ能力を発揮できませんよね。その企業の人っぽい顔になる、動作になる、そういう力を持ってる会社があるわけです。ばらばらな組織よりも一体化した組織の方が良いじゃないですか。でも同じような能力の集団だったら未来がないでしょ。全然違う人が入ってきても同質化するための企業文化ってものすごく大事なんですね。この異種同質化能力を、アポロの製品は持っているので、それでも入ってくるものを良い方向に同化してしまう。
河村:今は逆に整っていないものが増えているということでしょうか。
佐藤:整っていたものを壊す要素が増えてきたんだと思います。たとえば電磁波は整っている細胞に一定の波動を及ぼします。結果的に人間の体は水分ですから、帯電しますよね。そのことによって整わなくなる。アポロの製品のおもしろいのは、電磁波をシャットアウトするって言わないで、良い電磁波に変えるって言うじゃないですか。そこら辺の発想がやっぱり日本的だと思うんです。