民主党政権が始まって、子育て世代は金銭面で恩恵を受けることもあるでしょう。少子化対策の決め手のようにいわれる経済的な子育て支援ですが、私には正直なところ、机上の空論にしか見えないのです。私は4子を育てていますし、さらに多くの子を育てたいとも思っています。そんな私にとって、子どもたちが担うであろう将来の最大の厳しさは「この国の膨大な借金」にほかならないと考えています。
バブルが崩壊してから積み重なった国と地方の借金は、いまや1000兆円を軽く超えています。来年度の国の税収は40兆円と見込まれており、対しての支出予算は92兆円レベルと推察されます。つまり、ざっと収入の倍以上の支出をするわけです。もっと具体的にいえば年収400万円の世帯が、920万円の生活水準を得るために新たに520万円の借金をするのと同じであり、その世帯にはすでに借金が1億円もあるのです!いったい、どこの銀行がこの無謀な家計を営む家庭にお金を貸すでしょうか。
この論議のさい、必ず「日本には800兆円程度の預貯金残高があるから大丈夫」ということにされてしまいます。この前提には「国民の預金は国のものと同じ」という認識であり、全国民が預貯金すべてを国に差し出した
としても100%は返せない完全債務超過状態であることは変わりはありません。つまり、未来の子どもたちに負債を残さないために借金を減らしたくとも、国に財産すべてを差し出したところで、すでに無理なのです。
具体的な数字は知らなくても、この重い閉塞感が子どもを産む最大の障害となっているというのが私の認識です。過去、フランスが財政的に、また制度的に子育て支援を行って出生率が増加したからそれにならう、というのは、前提が違いすぎます。そこに地球環境の悪化、日本の食糧自給率の低下、高齢化と年金制度の崩壊、さらに景気の悪化が進んでいるとき、巨額の財政出動を行って現金を渡せば、将来を楽観して子どもを産むのでしょうか。さらに、食品や生活雑貨、住居に大量に盛られた食品添加物、多種多様な化学物質がさらに妊娠も出産も難しくしています。最後の部分の啓蒙と改善は私たちの仕事の一環ですが、これにも多種多様な規制が強まっていて、私たちが安易にものをいえば国や行政から制裁を受けるのです。
ラオスに建てた学校の開校式に参じて、改めて見た光景は、たとえ貧しくとも、子どもと暮らす家庭の幸せな眺めと、不発弾が眠っているとしても、今日爆弾が落ちてこないという、平和がもたらす大きな安心感でした。
子どもを産み、育てることにお金は必要です。生活水準の高い先進国に暮らす私たちにはなおさらのことです。しかし、無理をしてお金に立脚するよりも、子どもと暮らすことはいかに楽しく、命のバトンを渡すことはいかに神聖で美しいものであるか。その子らの将来のために政治や経済活動を決定し、努力することが大切かを熱心に説くことが政治や経済を動かす人に必要なのではないでしょうか。結局、今の政治にも経済にも不足しているのは未来を産み出す愛そのものであり、現金なのではありません。夢物語にすぎないといわれようとも、この事実をあえて申し上げたいのです。