「おかあさん、“あいうえお” をべんきょうするわ。」と、ついに長男が言い出しました。以前もこの紙面に書いたことがありますが、“そのうち興味を持つだろうから「そのとき」まで無理におぼえさせないでおこう” と、当初はあまり焦っていませんでした。ところがなかなか「そのとき」がこず、少しやきもきしていました。
ひらがなやカタカナを幼稚園でも習っているようなのですが、どうもお教室では“ぼー” っと散漫に話を聞いていたようで、いつまでも「あいうえお かきくけこ やゆよ」と、あいだがすっぽりと抜けて言い続けていました。幼稚園のお友だちからは、ひらがなやカタカナを使ったお手紙もよくもらうようになっていたのですが、長男のお返しは、いつも独創的な折り紙作品です。それはそれで「今」しかできないことでとても貴重なので大切にしているのですが、文字も書けた方が楽しいのにと思っていました。
せっかく長男が練習をしたいというので、練習帳を用意しました。そして、彼はどんどんと練習帳にある字をなぞり空白を文字で埋めていきました。なんてすばらしい!と思ったのもつかの間、ただなぞるだけでその文字が「何」であるのかわからずに、空白を埋めていっていただけでした。
「どうして、何を書いているのかわからないでどんどんすすめていくの! よく考えて練習をしないと、意味がないでしょう。」と、わたしはかなりきつくいってしまいました。わたしには、長男のしていることが、まったく意味のないことに思えたからです。そして、彼の鉛筆を持つ手が止まりました。
でも、本当にそれは意味のないことなのだろうか? と、長男が楽しそうに練習帳に書いていた文字をみて自問してしまいました。そこには、とてもきれいな文字が書かれていたからです。確かに、文字を練習するときに、それが何であるかを知りながら練習する方がそのときによく覚えることができるでしょう。でもそれだけが正しいということはないはずですし、わたしの今までの経験から、そのほうがはやく覚えるだろうという憶測でしかないのでは? との思いがわいてきました。
本人の興味が出てきたら一緒に学べばいい。急がなくてもいいと思っていたにもかかわらず、わたしは長男の意欲をそぐようなことを言い放ってしまったことに気がつきました。これから先、長いつきあいをしてゆく文字です。彼のペースで文字との関係を築き、わたしはサポートができるよう見守ることが、今、必要なことのようです。
ハツキ的“らくなちゅらる”な生き方
常務取締役
室長/管理部長兼
【Vol.68】長男とひらがな
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