僕には「人生の締切」が2つありました。1つは33歳。もう1つは42歳です。自分の歩んできた半世紀を振り返ってみて、この2つはとても重要で「人生には締切が要る」と思います。
2つの締切のことを詳しくお話しましょう。33歳というのは、明治27年、キリスト教思想家の内村鑑三が箱根で「我々は何をこの世に遺して逝こうか。金か、事業か、思想か」と「後世への最大遺物」という講演をしたときの年齢です。28歳のとき、僕はこの講演録(岩波文庫)を読み、人生の転機を33歳と決めたのでした。10年勤めた会社を卒業し、33歳と10か月のとき、故郷の京都府綾部市にUターンし、翌年、半農半X研究所を設立しました。
42歳というのは、母が病気で帰天した年齢で、当時、僕は小4でした。20代のころから、42歳という年齢が頭から離れず、30代のときは、カウントダウンしていました。42歳まで、あと何年だと。親を早くなくした人は、同じことを感じるようですね。42歳で逝ってもいいように後悔しない人生を送るというのが20代、30代の大きなテーマだったのです。
38歳のとき、ソニー・マガジンズの編集者の方からお声がかかり、初めての本『半農半Xという生き方』を上梓することができました。そのとき、とてもほっとしたことを思い出します。ああ、これでいつ逝ってもいいと。ああ、間に合ったと。なぜほっとしたのか。詩人の工藤直子さんの名詩「あいたくて」にある表現でいえば、「みえないことづけ」というメッセージを、本というカタチで読者に渡せたからだと思います。
おかげさまで今は、半農半XやXの見つけ方、Xを活かしたまちづくりなど、講演や執筆の機会をいただいているのですが、話したり、書いたりすることは、手放すことだと思います。アイデアを書いたり、話したりすると、アイデアをとられないか心配する人もありますが、いまという時代はどんどん話したり、書いたりしたほうがいいことが起こります。「放てば満てり」というのは本当ですね。
いま、こんなことを考えています。いろいろなアイデアをPCにメモしたりしていますが、個人情報以外はすべて公開したいと思っています。僕が明日逝ったら、僕のPCはガラクタになるでしょう。つれあいがすべてに価値を感じ、アーカイブとして活用してくれることはなさそうです(笑)。どうせゴミになるなら、すべてを公開して、活用できる部分はそうしてもらえたらと思っています。でも、やはりいちばんいいのは、原稿に書き、公のものとすること。本にすることはとても大事なことだと思います。
この秋、ミニブック「じぶん資源とまち資源の見つけ方」を完成させました。本を書いたり、まとめること、作品に仕上げることはとても大事ですので、みなさまも、ぜひ想いをまとめていってください。後悔のないように。本づくりのワークショップとかいつかできたらいいですね。
人生が変わった記念すべき1冊目の本
『半農半Xという生き方』(ソニー・マガジンズ、2003)
半農半X研究所代表
福知山公立大学地域経営学部特任准教授
総務省地域力創造アドバイザー
塩見 直紀(しおみ なおき)
1965年、京都府綾部市生まれ。
「半農半X(=天職)」コンセプトを20年前から提唱。
ライフワークは個人~市町村までのミッションサポート、コンセプトメイク。
著書(『半農半Xという生き方【決定版】』など)は翻訳され、台湾、中国、韓国でも発売され、海外で講演もおこなう。
http://plaza.rakuten.co.jp/simpleandmission/