僕は僕のままでいい
9月号の続きです。イギリス在住の貴子さんは、祖母、母、自分と代々受け継がれてきた子育ての負の連鎖により苦しんで、12歳の長男バート君のことを「愛せない」、「時には手も出てしまう」と、どうにもならない感情抱えてセッションへいらっしゃいました。
年齢退行療法をおこない、未解決だった出来事と、それに伴うインナーチャイルドの感情を解放し癒すことによって、セッションの終わりには、大粒の涙を流しながらこうおっしゃいました。「バートはバートのままでいい。バートのままがいい」。
セッションが終わり、海外からわざわざお越しくださっている貴子さんと夕食をご一緒することになり、我が家の次男も学校帰りに合流しました。次男はちょうどそのとき、学校で作っていた作品(自分のヒストリーを描いたストップモーション・アニメーション)をバックパックから取り出して、それを貴子さんに見せながらとうとうと語り出しました。「タイトルはアイデンティティーだよ!僕はこれまでいろいろトランスフォームしてきたけれど、アキトはアキトのままでいいんだ。最後はアキトに戻っていくんだよ!」
貴子さんと私はびっくりして顔を見合わせました。セッションのなかで貴子さんが長男バート君に言った言葉を、そのままわが次男坊が口にしたからです。まるで「そう、それでいいんだよ!」と天使が次男の口を通して、ダメ押しのメッセージを与えてくれたかのようなシンクロでした。アキトは、そういうシンクロをよく起こす達人です。特に、彼が無自覚で無意識に口走った言葉には、メッセージが含まれていることが多いのです。
しかしながら母である私は、息子がそのようなことを考えていたとはつゆ知らず、数ヵ月後あらためて彼に質問をしてみました。「アキトあのとき、いろいろトランスフォームしてきたけど、アキトはアキトのままでいいって言ったよね。最後はアキトに戻るんだって。あれはどういう意味だったの?」
すると彼は待ってましたとばかりに語り出しました。……その前に捕足させていただくと、前号でもご紹介した通り、次男は学習障害を持っています。初めて単語を発したのが4歳。単語を並べるだけの会話を始めたのが7歳ごろ。その後小学2年生で日本へ移住し、9歳の時に軽度自閉症、注意欠陥多動性障害、学習障害という診断を受けました。学校の先生と保護者、クラスメイトの柔軟で優しさにあふれた対応と理解あるサポート、そして、学習支援センターの先生による適切な指導のお陰で、二次障害を上塗りすることなく。これまでのびのびと成長してくることができました。とはいえ彼自身のなかで、何か僕は人とは違うといった違和感や劣等感、言語によるコミュニケーションの難しさから、人と普通に交流することがなかなかできず、趣味嗜好を共有することも、子どもらしく友達同士で冗談を言ったり馬鹿話をしたりすることもできませんでした。かといって殻に閉じこもって暗く閉鎖的なわけではなく、ただ彼独自の世界観、異空間の中で孤立して存在しているような雰囲気を持っていました。
自分の意志で留学を決めたアキト
そんな彼が学習障害を抱えながら、どんなトランスフォームをしてきて、自分は自分のままでいいと認めるに至ったのか。こちらから質問を投げかけなければ、私は彼の内なる世界を引き出す機会を逃してしまったことでしょう。
言語を介しての理解や表現の困難さは持っていても、彼に考えがないわけではなく、世界がないわけではなく、当然ながら心がないわけではないのです。「アキトがアキトに気づくまではロボットのようだった。人間性失くしていることに気づいたんだ」「それは何がきっかけだったの?」「映画だよ!!」
今年の9月、アキトは米国シカゴへ留学しました。映画製作を学びたいという大きな夢を抱いて。
ヒプノセラピスト・エッセイスト・女優
宮崎 ますみ(みやざき ますみ)
1968年愛知県生まれ。1984年クラリオンガールに選ばれ、女優として、舞台・映画・TVなど幅広く活躍。1995年結婚を機に渡米。米国で2児の息子を育てながらYOGAに傾倒し自己探求に専念。瞑想を深めていくなかで自己の本質に目覚め、ヒーリングとリーディングを始める。帰国後2005年、乳がんであることを公表。克服後2007年ヒプノセラピストに。同年11月厚生労働大臣より「健康大使」を任命される。自身の経験を活かした講演会活動やヒプノセラピスト養成に取り組んでいる。
ヒプノウーマンSalon『聖母の祈り』 http://salon.hypnowoman.jp
一般社団法人ホールライフクリエーション http://wholelifecreation.com
日本ヒプノセラピーアカデミー・イシス http://jhtaisis.net
日本ヒプノ赤ちゃん協会 http://hypnoakachan.com