私は基本的に、仕事でも個人的なことでも、細かい計画は練りません。特に事業において売上目標は一切定めず、それをノルマとして組織の下部に落とすこともしません。もうこの数行だけで経営者失格といわれてもしかたありませんが、創業してからずっとそのようにしてきましたので、今さら変える気もありません。経営者向けの研修、または成功したい人向けの自己啓発セミナーにいけば、まったく逆、つまり緻密な計画をくみ上げ、それを組織に浸透させることが最も重要と教えられるわけで、私の話を聞いたからといって成功できるわけではありませんので、なんの意味もないと思われることでしょう。しかし、少なくとも20年間会社は継続しており、おかげさまでお客様にも喜んでいただき、ボロ儲けはしていませんが家族もスタッフも生活することができているのもまた事実です。
経営の常識とされる細かい数値とそれに伴う行動計画の策定ですが、私にはなんの意味があるのかよくわかりません。というのも、机上の空論に過ぎないこれらの数字から逆算して行動まで計画してしまっては、絵空事のために人生を生きることになるのではないかと思うからです。正直、アドバイスする側としていろいろな経営計画書の類いを見てきましたが、書いてある数字に充分な根拠があるものに出くわしたこともありません。
たとえば、商圏(店からどの範囲のお客様が来てくれるのか)が800メートルといわれるとなんとなく説得力があるように思いますが、開店もしていないのにどうしてそんなことがわかるのでしょうか? 通販をやりますという場合、物流関連費として運賃平均○○円という数字が出されますが、この数年で倍近くになっている会社が多く、この先果たしてどうなるかなど誰にもわかりません。まだ開けてもいない飲食店で、平均客単価○○円というのも、実際にやってみないと確かな数字を知ることは不可能ですが、当たり前のように試算に用いられます。
こういった計画に用いられる数字は基本的に甘めに設定されやすく、厳しめの想定とされていても、まったく厳しくない数字が並んでいます。こうやって一つ一つ吟味しても、やはり「絵空事」であることは変わらず、こんな空想で遊んでいる暇があるのなら、一つでも具体的な行動をすればいいのに、と思ってしまうわけです。
旅のしかた
こんな私のことですから、旅をするときも基本的な情報を掌握する以上の細かい計画は練りません。降り立ったその地でひたすら歩き回り、面白そうなところを見つけます。どちらに行ったらいいか迷ったときにはスマホを開き、トリップアドバイザーなりグーグルなりのお世話にはなりますが、だからといって事前にこれらで緻密な計画はしないのです。だって、たまたま通りかかった場所に、めったに見られない面白いもの、おいしいレストランがあるかもしれず、目的地を先に定めてただ移動するだけではあまりにもったいないからです。その、行動の連鎖のあいだに出てくる刹那の出会いこそが旅だと思うからこそ、現在地と目的地しか見ないのはもったいないと感じます。
面白いことに、どこにいようとも、どちらかに一歩踏み出しさえすれば、まったく違う景色が広がっています。正しいと思って進んだ方角が、どうも違うと胸騒ぎを感じるのなら、すみやかに別の方向に行くべきです。これは旅も経営も同じこと。むしろ、今の場所から見えることは、角度を変えただけで別物になるのですから、同じ場所でぐるぐる回ってみる、脚立に乗ってみる、しゃがんでみるだけでもいいのかもしれません。机の上で見えることなどくそ食らえ、とにかくどんなことでも違う方向から、違う高さから、違う気分から取り組んでみるだけで、その計画が馬鹿馬鹿しいものであることが明確になってきます。
決断
そんな私のなかには、計画よりもっと大切なものがあります。それは決断です。今よりもお客様を幸せにすること。今より、より多くのお客様と出会い、その人生を豊かにすること。価値あるものを作る人がまっとうに評価される場を作ること。次世代につながる価値を残すこと。自分が死ぬときに悔いを残さないこと。極めて抽象的かもしれませんが、これらは私の「北極星」です。うろうろしているうちに、なにも見えなくなってしまうことがあるかもしれません。そんなときにはしばらくじっとして、北極星が見えるのを待つのです。意思をもって待つこともまた、重要な行動の一つです。あれは北極星だと信じながら、別のものを座標にしてしまえばろくなことがありません。一方で、石橋を叩いて、危なそうでも渡る勇気も大切です。
いずれにしても、机にかじりついて作った計画に価値はありません。北極星でないものを北極星だと信じたことにする、この橋は安全だとわかったことにしておくことほど、行動の邪魔になるものはありません。お互い、いつ死ぬかもわかりません。とにかく動ける間にいろんなことをしてみませんか。