風邪をひくと、咽喉が痛い、鼻水がでる、身体がだるい、頭痛、発熱、咳などの症状が出てくる。そういった風邪の症状に気づいたら、うがいをしたり、身体を温めたり、風邪薬を飲んだり、早く寝ようとしたりして、少しでも酷くならないようにいろいろな工夫をする。そして、気がついたら風邪は治っている。怪我や大病などと比べると、風邪は私たちに身近なものでもあると思う。そんな身近な風邪だが、風邪について書かれた本や医学書は、意外にも少ないのはご存じだろうか。私は漢方を学ぶようになって、風邪はよくわかっているようで、まだまだわかっていないことも多いのではないかと感じるようになった。
『古典基礎語辞典』には、「風邪の語源は、吹く風と同じで、『かぜ』は古代中国では大気の動きであるとともに、人の肉体になんらかの影響を与えるものとして考えられていた。このことから、吹く風が運んできた邪気を体内に引き込んでしまい、かぜ(風邪)という病になると考えられた」とある。
また、『日本語ふしぎ探検』によれば、「かぜという言葉が、病という意味で使用されるようになったのは、平安時代からだそうです。(中略)鎌倉時代になり体に悪い影響を及ぼすことから、『風』に『邪』をつけて風邪と呼ぶようになった」と記載があった。
普段から漢方を専門にして診療していると、風の邪気によって起こる症状は多種多様であると感じることが多い。例えば、風邪とは関係なさそうな突発的な痒みや寝違いなどもそうである。それゆえ語源から紐解くと、なんだか腑に落ちたのだ。
私は幼少期に身体が弱かったせいか、楽しみを自由に謳歌することをあまりしてこなかったと思う。その影響もあるのかもしれないが、大学に入ると、キラキラしている人が多そうなウインドサーフィンのサークルに魅力を感じ、気がついたら入部していた。
当時、冬から春かけて季節が変わるときと夏から秋かけて季節が変わるときに、ウインドサーフィンをすると、しばらくして顔や全身に赤い皮疹が出てくることがあった。なぜこうなるのか、そのときは見当もつかなかった。
今ならわかるのだが、それは冬から春に向かう季節の変化に合わせて、衣服を厚着から少しずつ薄着にしていくなかで、身体がまだひやっとする風の影響を受けたことによって症状が起こったと考えられる。
症状は身体からの応援
漢方の考え方で、五臓六腑の肝臓、胆嚢の経絡に弱点があると、身体は風を異常に嫌うということが古典に記されている。それは西洋医学的に診て、すぐさま肝臓、胆嚢になにか病変があるということではない。
症状を通して身体を丁寧に観察していると、自分がどんなところに弱点があるのかを知ることができる。それほど緻密に身体や心が自分に教えてくれていることに、びっくりする。なんだか感謝の思いを、自分の身体や心に向けたくなる。
症状は決して敵の声ではなく、自分を守るために必要なことを知らせてくれていると感じる。それは一生をともにする身体という仲間からの応援であり、激励であると感じるのだ。「当時、自分の皮膚が教えてくれていたことがなんだったのか、そしてなにに自分の弱さがあったのか」を、漢方を学んできた今になってみて、ようやく少しわかってきた気がする。しかし、また少しわかった気になっていると、「自分のわかっていないことがなんなのか」に気づきにくくもなり得るということも、忘れずにいたいと思う。
弱点があるから悪いということではなく、弱点のある自分を知って受け入れる。そして、自分と自分を取り巻く環境のなかで、なんとか折り合いをつけながら生きていくことのなかに、養生のヒントがあると思っている。
※古代中国の医学において、人体の中の気血栄衛の通り道として考え出されたもの