難治性疾患やなにをやってもすっきりできずにいるような病態になると、良くなることへの期待が大きくなるのは想像できる。そんなとき、その期待を「どこに向けているのか?」「どのような期待が大きいのか?」を考えてみると、新たな発見がある気がしている。
風邪がすっきり治らないまま、1ヶ月後に再診に来た患者さんが、「かなり横になって休んでいたのにすっきりしなくて、仕事に行っては夜に微熱が出ている。しかも、顔にも湿疹が出て、左肩も痛い。こんなに気をつけているのに良くならない」と訴えていた。身体を休めて症状が改善するときは、身体が治ろうとする力がスムーズに働くときである。身体を休めても症状が改善しないときは、「身体はまだ困っている状態だよ」という身体からのメッセージだろう。そんなときに無理に動くと、症状は改善するどころか悪化しやすくなるかもしれない。
漢方では、風邪は大腸の経絡から侵入するといわれている。皮膚や鼻は大腸の経絡と関係していて、肩の痛みも大腸と心臓、胆嚢の経絡と関係している。この患者さんが身体を休めてもすっきり軽快にならなかったのは、まだ身体のなかに炎症がくすぶっていて、身体の弱いところに症状として現れていたのかもしれない。時間が経つほどに、身体が治ろうとする自己の治癒力と、病態を悪くする力のせめぎ合いが起こりやすくなる。
漢方では長引く病態を「壊病」という。風邪は速やかに治せれば、日頃身体にくすぶっている炎症の掃除にもなり得る反面、「風邪は万病のもと」というように、風邪が長引けば困った病態のもとになることもある。そして、大切だと思うのは、自分の身体や心に向ける思いだ。「こんなに気をつけているのに」という言葉が出てしまいそうなときこそ、自分の身体の声に、もう一度まっすぐに耳を傾けてあげたい。
怒りの影響は肝臓にも
難治性の便秘に悩んでいる80代の患者さんがいる。あるとき、思うようにならない便通への苛立ちからか、自分のお腹に向けて、拳骨を何度も振りかざしていた。私たちは思うようにならないとその症状を出している対象が、敵になりやすいのかもしれない。すっきりと治らないのは心地よいものではない。また昨今、病気と闘う、打ち負かす、鬼退治などの表現をときどき目にする。そういう気持ちになってしまうのは想像できるのだが、病や不快な症状は、本当に自分の敵や鬼なのだろうか。肝臓の経絡の状態が良くないと、怒りはより増幅されやすく、怒り続けると肝臓の経絡にも影響するといわれている。
期待を向ける先は?
良いときも悪いときも、その体験からなにをキャッチして、自分を楽にして生きられるように活かすかは、自分次第だ。身体や心が日々変化しながら教えてくれていることは、良いときばかりではない。右肩上がりで改善することだけに心を踊らせるのではなく、今の状態が不本意だったり、望まない状態であったとしても、ほんの少しでも楽になるための対処がなにかしらあるはずだ。日常の食事や生活、自分に向ける思い、他者に向ける思い、あらゆる営みが、今の自分を形作っている。困りごとに対して、できることを探ることができるのは、ただただありがたい。思うようにならないときでも、必死に自分を支えてくれている内なる生命力にも、忘れずに目を向けていたいと思う。他者に期待を膨らませすぎてがっかりするのではなく、自分の身体や心の治癒力に期待を向けられるように、できることを地道に探ること。身体や心を少しずつでも楽にできるとしたら、それは自分にしかできないとつくづく思うのだ。