「チャレンジしたい」。
最近、この言葉をよく耳にします。それは昨秋から、私自身が意識的に取り組んでいることだからでしょうか? それもあると思いますが、春を迎えて、きっと多くの人の内面に「自分の可能性を広げたい」という思いが芽吹き始めているからかもしれません。
昨年9月、私は50歳という記念すべき年齢になりました。嫌が応にも「人生の折り返し地点」「残る人生をどう生きるか」を強く意識するようになった私は、「もっと自分が思ったようにやる」と決めました。比較的、思ったようにやってきたつもりでしたが、いやいやまだまだ。一般常識や期待に自分を合わせていたり、果敢なつもりでも遠慮や出し惜しみもありました。そんな気づきから、「チャレンジする」を50歳の自分のテーマとして取り組み出すと、まわりにも波及して「チャレンジしたい!」という40~50代の声が集まってきました。
「やってみたい」という小さな火種
その方々の発言には「チャレンジはしたいけれど、自分には無理かもしれない」という共通点がありました。昭和生まれが多いからか、チャレンジというと「握りこぶし」「苦しみに耐える」というド根性スタイルが思い浮かぶようです。これではチャレンジに対して躊躇するのもうなずけますし、やっても途中で息切れして長続きしないでしょう。それでは本末転倒です。
では、チャレンジって、いったいなんなのでしょうか? 半年間チャレンジをテーマにした私が行き着いた答えは、「やってみたいから始まる、小さな行動の連続」です。些細な「いいなぁ」「面白そう」「楽しそう」「やってみたい」という思いが原因で、思わず動いてしまう。その繰り返しが、チャレンジの本質だという考えに至りました。
たとえるなら、「やってみたい」という気持ちは、小さな火種。その段階の火はまだ小さく弱いので、少しずつ継続的に空気を送りこんであげる必要があります。強すぎても、間が空きすぎても消えてしまいます。チャレンジも同じ。「やってみたい」と思ったら、ちょっとでいいから、些細なことでいいから、やってみる。それを繰り返す。チャレンジはこんな小さな行動の連続で成り立っています。たとえば「プレマルシェ・ジェラテリアのジェラートを食べてみたい」と思ったら、すぐ通販サイトを開く。ちょっと眺めてみる。失敗しても痛くもかゆくもない、この程度の小さな行動の積み重ねでいいのです。すると「やってみたい」という火種は、どんどん大きく育ち、次の行動もすっと楽にできるようになります。
失敗しても痛くもかゆくもない
ここで大事なのは、失敗しても痛くもかゆくもないところから始めることです。私たちは失敗する可能性を考え始めると、一気に動きが悪くなり、行動が止まります。そうなると、空気を失った火種が消えるように、私たちは自分がなにに心が動くのか、なにがしたくて、なにに幸せを感じるのかがわからなくなり、ますます行動が停滞します。「毎日が楽しくない」「自分の人生を生きている感覚がない」といった停滞感・閉塞感が強い方は、このパターンから抜け出せずにいる可能性が高いのです。「いいな」「面白そう」「楽しそう」「やってみたいなぁ」は、あなたを行動させる火種です。小さな「やってみたい」から動いてみませんか? まずは今日たったひとつ、失敗しても痛くもかゆくもないことでいいから。
私も、ずっと行ってみたかった横浜のある人気カレー店に足を運んでみました。結果、私は一回で十分(笑)。もう行かないでしょう。料理の見た目や人の評価という二次情報だけでは、わかりませんね。行って食べて肌で感じたからこそ明らかになったこと。後悔はありません。