宮古島でカツオといえば、宮古上布や黒糖と並ぶ3大特産品として、隆盛を誇っていたのをご存じでしょうか。
①カツオ漁の開始~急成長
1907年に宮古島でカツオ漁が始まり、急成長を遂げ経済も活況を呈しました。漁船数やカツオ節工場の数など漁業関連従事者数が増え、「池間島の茅葺きの家屋が一掃された(瓦葺に姿を変えた)」といわれるほどでした。一方で、「北上する春の初ガツオ」や「南下する秋の戻りガツオ」といわれる通り、黒潮に沿って南方と三陸沖の間を回遊するカツオの特性から、年間通して漁獲量は安定していませんでした。
②南方漁の開始~世界へ躍進
1929年には、年間を通して安定した漁獲量が期待できる南方に活路を広げます。サイパン、ニューギニア、ソロモン、ボルネオなどに鰹節工場などの拠点を構えました。当時は父と息子が南方へ行けば1年で御殿が建つといわれていました。宮古島の漁師の実力は、カツオ漁に使う生餌の確保の為に、水深20メートル以上まで素潜りして魚を網に追い込むアギャー漁やGPSのない時代に天測航法で南方まで航行していた技術に裏づけられていました。1941年以降、戦時中の操業停止期間を挟んで、1960年には南方漁が再開され、県内随一のカツオ水揚げ量を誇りました。その後、第一次(1973年)、第二次(1979年)オイルショックによる燃料価格の高騰や200海里(排他的経済水域)の制定による漁業権の規制(1977年)などの逆風が吹き、1981年に南方漁は終焉を迎えます。
③パヤオ漁の開始~安定した近海漁
1982年に浮き漁礁を設置して日本初となるパヤオ漁を始め、年間通して安定した漁獲に向けた復活劇を開始します。これは流木などの海上の漂流物に回遊魚が集まる習性を利用した魚を集める仕掛けです。南方漁の終焉直後に日本初の技術に挑戦する気概に、誇りとたくましさを感じます。
今は大型外国船の巻き網漁による水産資源の乱獲が国際問題になっているなか、地道に伝統文化を守り継ぐ真海さんのなまり節は味わい深いです。
宮古島プライベートガイドでご紹介するカツオの「なまり節」を作る真海さん。伝統の食文化、職人技術とともに島の誇りを守り継ぐ