きのくに子どもの村通信より 学校づくりのこぼれ話(10)自由学校のひろがり
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キルクハニティの危機
今を去ること10年余り、1996年秋のある月曜日。キルクハニティの臨時全校ミーティングは、重苦しい空気に包まれていた。スコットランド文部省からきびしい内容の通達が届いたのだ。
施設が老朽化して貧弱かつ危険である。改修を要する。
教育内容が不十分である。通常の授業を拡充すべし。
校舎や寮の修理は、いかにむずかしくても不可能ではない。しかし、教育方法は別だ。視学官は「基本学習が不十分。ユースフルワークは授業時数に入れるな。校外活動を減らせ」と勧告してきた。改善策を出さないと学校の認可を取り消すという。
校長のジョンは悩んだ末、苦渋の決断をくだした。学校を閉鎖したのだ。私たちが最後に会った時のことば。
「少しくらいは妥協したらどうかと勧める教員や保護者もあった。しかし、それでは学校が変わってしまう。…私がもう少し若かったら、まだまだたたかうつもりなんだけど」(1997年、10月18日、最後の創立記念日)
この時ジョン校長は87歳。翌年の7月に亡くなった。
プロジェクトをスコットランドの学校に?
時は移って今年の2月。場所も同じキルクハニティ。私は学校の再開に向けて文部省の役人と折衝していた。やって来たのは、なんと10年前と同じ視学官だった。50歳くらいの温厚かつ生真面目そうな男性である。少し緊張して話が始まったのだが、彼の最初のことばを聞いて、わが耳を疑った。
「私見ですが、あなた方の教育方針はとてもいいと思います。スコットランドの学校にもこういうやり方を取り入れたいものです。」
彼は、通年の子どもを受け入れて正式に開校する話では仮認可ということで認めるという。施設の改修に満足しただけでなく、教育理念についても理解してくれたわけだ。そのうちスコットランドの公立小学校から見学に来るようになって、いくつかの学校で「プロジェクト」の授業が登場するかもしれない。
おとなりの韓国では
韓国は日本以上に受験中心教育の国である。その韓国では、新しい学校がどんどんできている。そしてきのくにはかなり知られているという。何度もテレビや新聞で報道されている。見学や交流に来てくれる人も多い。私の本はだいぶ前に韓国語に翻訳されている。何度か講演にも招かれている。
これまでにお客様のみえた国は20ヶ国に近い。得意になってはいけないが、いろいろな国のさまざまな学校と手を取り合い、こんな学校もある、こんな教育も可能だということを広く発信し続けたい。
がんばればできる学校づくり
学校づくり自由のオランダでは
先日、リヒテルズ直子さんの講演を聞いた。オランダでは学校づくりの自由が認められ、オルタナティブ・スクールが全体の12%を占めているという。モンテッソーリ法ドールトンプランなどの学校だ。しかも公立なみの補助金が支給される。映像も使ったいい話であった。しかし後援者は何度も「しかし日本では」というし、参加者はオランダ礼賛ばかり。「オランダはいい。日本はあかん。」という空気なのだ。私は参加者にたずねた。
10年前の日本でこんな小学校が認可されたのをご存知ですか。1学年の定員8名、土地建物は自治体から無償貸与、時間割の半分が体験学習、補助金も支給。かつやまの小学校のことだ。知っていたのは「わくわく子ども学校」の辻さんくらいだ。
日本の方がもっと自由!?
オランダでは私立学校を作るのに最低200人の子どもが必要だ。子どもが減るときびしく審査される。日本ではそんなことはない。今では、きのくにもかつやまも特別な例外ではない。いくつかの新しい学校が誕生している。グリーン・ヒルズ(長野)、どんぐり向方学園(長野)、ひらおだい四季の丘(北九州)、などが生まれ、4月にはりら創造芸術高等専修学校(和歌山)と東京シューレ葛飾中学校が開校する。(注:2007年3月時点の資料)
「りら」以外は特区制を活用し施設を借りての設立だ。かつやまは特区ではない。むしろこれが自前の施設なしで認可された私立学校の第1号で、特区制学校のモデルとなった。
国の学校教育はへんな方向へ…だからこそ
このところ日本の学校教育は右旋回を強めた。愛国心の強要、教員免許の更新制、土曜授業の復活など、子どもも教師も息苦しくなるばかりだ。こういう流れの結果、昨年はいじめ問題が過去最多になったのだ。
私たちは、子どもと教師を大事にする自由な学校の発展のために今後もがんばろう。
※ジョン校長(1910~1988)
ニイルの影響を受けてキルクハニティを創立。きのくににも2度来ている。