健康に関する仕事をしている関係上、お客様のいろいろな病気についてお話をお聞きする機会がよくあります。そんな私が家族として当事者になるまで、全く知らなかったのがこのICU症候群です。あまり知られていないようですし、いつ、誰がどのような状況で集中治療室にお世話になるかもしれないことを考えると、私事だけで胸に秘めておくのはどうかと思い、迷った末にこのトピックについてお話ししたいと思います。
2月下旬、私の生母が心不全を起こし、緊急搬送されました。もともと心臓が悪く、10年前に心臓弁膜を取り替える手術をしています。心不全も繰り返している状態でしたから、回復の様子をみつつ、医師から機能不全を起こしている3カ所の心臓弁を補修するための再手術の提案がありました。心臓外科の水準はこの数年で飛躍的に向上しているということで、80歳になる高齢の母にも適用が可能という話に正直驚きました。生活習慣病やガンであれば、手術提案Uを出たら治るというような楽観的なものには相当慎重になるのですが、既に心臓が物理的な機能不全を起こしているとなると、放っておけば衰弱するばかりというのは目に見えていましたので、本人も含め前向きに同意しました。当然、人工心肺を使い心臓を停止させ、3つの弁を作り直すという大手術ですから、詳細なリスク説明を受け、書面の同意書にもサインしました。術後には、ICUに入り、順調であればおよそ1週間で一般病棟に移れるでしょう、という話で、「これだけの大手術なのに、すさまじい技術進化だなぁ」と思いました。
特殊な場所
臆することなく気丈に手術室に入っていた母の姿は、我が親ながら立派でした。私がこの立場なら、もっと恐怖におびえていたことでしょう。手術は予定より時間がかかりましたが、13時間後には出てきました。ICUに通された私は、取り替えた弁膜などを見せられながら「明日には麻酔が覚めるので、お話し出来るかもしれません」という執刀医の話に希望を感じました。ものすごい数のカテーテルが体に入り込み、それらが医療機器に繋がれていて、これらを管理しながら昼夜を問わず病態を見守る医療関係者の方は大変だなと改めて感じたものです。翌日、面会すると、かすかに意識があるようです。足を上げてくださいという医師の声に、少し足が上がり感動しました。ただ、人工呼吸器が入っているので、とても話は出来ません。その後、病院に通いましたが、翌日も、翌々日も、寝たままです。医師の説明によれば、人工呼吸器が 入っていて苦しそうなので、お薬で寝てもらっています、ということで、苦しむよりはそのほうが、と納得しました。しかし、結局丸々2週間、薬で寝たままの状態で、やっと人工呼吸器を外しますという提案を聞くに至りました。遅れているのは分かっていましたが、ただ機械で生きているようにしか見えない風情からやっと解放されると安堵しました。翌日、予定通り呼吸器は外れ、大きな酸素マスクをしているものの、少しだけ会話ができました。大好きだった氷川きよしさんの写真集を見せると、嬉しそうで、やっとこれで一安心かと、ずっと張り詰めていた気持ちが氷解しました。しかし、ほんとうに大変なのはこれからでした。
想像しなかった状態
翌日、もっと話が出来るかもと思って足取り軽くICUに入り、話をしますと、より明瞭に話ができます。しかし、その中身は、恐ろしいのです。人を殺した話や、聞くに耐えないような話ばかりなのです。しかも、話しているのはあの母とは思えない、別人の状態で、突然泣いたり、怒ったり、笑ったりするのです。看護師さんに聞くと「よくあることなんですよ」ということでした。病院を出て早速この状態について調べると、確かによくあることのようですが、相当問題視されているICU症候群であることがわかりました。長期間、昼夜も分からない閉じた密室で医療機器に囲まれ、カテーテルで拘束され、ずっと監視されていることで起きる精神症状だということです。予後にはいろいろな見解があり、ICUを出たら治るというような楽観的なものもあれば、高齢者で循環器の手術後、長期間ICUにいると相当悪いという論文まであります。真っ先に心配になるのが、退院後の介護です。私にとって生母は3人目の長期介護で慣れているつもりだったのですが、もし、これが進行した認知症として残った場合、もしくは筋力低下でさらに本人の自発行動が回復しない場合にも仕事が出来なくなるかも知れないという不安です。本稿を書いている時点で会話が出来るようになって5日目ですが、まだICUは出られず、幻覚こそ減ったものの、うつ状態を呈していて、ここから出してくれと怒り食事も薬も拒絶、昨日は心臓に入っているカテーテルを引き抜きそうになりました。医師や看護師さんの楽観的な感じや話と、実態に大きな差があります。今回の医療の目的はまず救命であり、とにかく問題になった症状を治すことですし、ICUは命の危険を回避する場所です。しかし、病院を出た後のことは全て家族に責任があり、身寄りが限られている場合にはなおさら大変です。事前説明書面をすべて読み直しましたが、このような記載もなく、前向きな手術の話を前に、想像すらしませんでした。かといって、これが医療者の方の責任だというつもりは全くありません。あとは日にち薬が想像以上に働いてくれることを祈るのみです。
このような暗い、個人的な話を書くことをためらいましたが、救命の影にはこのようなことが起きる可能性があるということを、事前に知っていただくだけでもずいぶん違うと思い、お知らせすることに決めました。どうぞお気持ちを悪くされませんように。