あなたさまは運が良いでしょうか、それとも悪いでしょうか。私は、運が良いと自分で思っています。ここでこの話をしようと思いましたのは、何か科学的根拠のない怪しい話をしようという意図ではありません。かといって科学的に運を説明しようとしているのでもなく、運について考えることが、運を良くするように感じたからです。
先日、NHKのスーパープレゼンテーションという番組をたまたま目にしました。その日はスタンフォード大学の健康心理学者であるケリー・マクゴニガル教授という美しい女性がストレスについて説明していました。彼女の話は衝撃的です。ストレスは健康に悪くないというのです。実際に激しいストレスに晒されていたとしても、それが病気には直結しない……逆に、「ストレス=害」という認識をしていた人が早死にした人数まで割り出し、ストレスが体に悪いのではなく、「ストレス=害」と思っていること自体が体に悪いというのです! 「ストレス=害と思っている病気」による死因は、全米の死因の第15位、皮膚ガン、エイズ、殺人より多いとのデータを示していました。「ストレスは体に悪いですよ」と教えてきた彼女がこの試算を目にしたときには動揺したといいます。つまり、物事のとらえ方次第で、ストレスに対する体の反応が変わるのです。この話は誤解がないようにぜひ動画をご覧下さい。
いのちの判断
のちに、私は宮城県の松島に向かいました。ある勉強会でご一緒させていただいた真言宗の僧侶、佐々木隆興住職とお会いするためです。佐々木住職は僧職であるいっぽう、震災後の東北、特に福島県の母と子の心の健康について貢献したいと考えておられます。プレマ基金として支援できるビジョンをお持ちでしたので、住職はどのような方なのか、さらに深く知りたいと思っての訪問でした。震災の話に及んだとき、住職はいいます。「運の善し悪しというのは、普段というよりは危機やチャンスに及んだときに、その事実に気づけるか、という点です。人には等しく機会があって、平等です。同じ話を聞いたときにも、ある人にとっては人生最大のチャンスと感じ、それを掴もうとします。しかし、ある人はそれほどまでにも感じません。非常時にも同じです。ある人は直感的に山に向かい、ある人は海に向かう、その差で、大きな違いになるのです。どこに住んでいるか、その瞬間どこにいるか、そういったことの判断の積み重ねで人生が変わります。つまり、直感といわれる部分を磨くのが、運を高めるということなのです」。その話をお聞きしながら、以前の大震災のとき、沿岸部にいた多くの人とお話ししていたことを思い出しました。生き残った人たちで、命からがら津波から逃げましたという人の話をたくさん聞いていると、彼らはものすごい幸運の持ち主なのです。なぜか分からないけど直感的に電車の乗客も引き連れて内陸に向けて歩き出したとか、車好きでいつも車で移動していた若者が、この直後には車をおいて渋滞から逃れて助かったとか、たまたまゴムボートがあるのを思いだしたとか、そんな内容です。そして、彼らは必ずいいます。「私は、ほんとうに運が良かったのです」と。被災しているのに、それでもなお、自らの運について語り、だから一生懸命生きようと思うのですとおっしゃるのです。私が何度も東北に行き、いろんな話を聞きたくなる理由は、運のいい人たちと話しているからだ、とこの原稿を書きながら自ら納得しているところです。
認識の力
人は運を感じようとして占いを読んだり、運を良くしようとして手を合わせたりします。ときに、行けば運が開けるといわれるパワースポットを訪れます。別の面白い実験の話をしましょう。この実験は、ナショナルジオグラフィックという米国のテレビが行った実験です。
まず、街頭の道行く人に、あなたは幸運か、運が悪いと感じるかを聞きます。それぞれにある実験を行うと、自分が幸福だと思っている人は、運が悪いと思っている人に比べて、3倍以上、賞金を手にする可能性が高かったというのです。この実験の模様は、先ほどのFacebookページから動画で見ることができます。結局のところ、運のあるなしは、実は自分の認識とセットになっているというのが面白いところです。運があると思っているから、悪いことから無意識のうちに距離を置くことができる。運が開けるチャンスに気づく、そして出会いに導かれる、つまり「直感の力」です。面白い因果関係だとお感じになりませんか?
ツキとはそのようなもののようです。佐々木住職はいいます。『直感を磨くということが善行、徳を積むということになります。見えないものに心を向けて行動するという行為です』。見えないもの|私の心、子どもたちの未来、そして生かされている意義| に心を寄せて、ともに気づきを磨いてまいりましょう。