一年半以上の時間をかけ、じっくりと改修をすすめてきた京町家が、ついに完成しました。京都市内中心部では、歴史ある京町家が次々と解体されています。また、改修されている場合にも、かなりの物件が円安の影響もあって外国人に買われてしまい、表面を取り繕ったいい加減な改修がおこなわれているため、今の改修が老朽化したときにはとてもみすぼらしくなってしまい、遠くない将来にまた解体しようと思われてしまうようなものが大半です。私が今回の改修を総監督するにあたり大切にしていたことは、①耐震性を含めた構造改修をしっかりおこなう。②後代にぐちゃぐちゃにされていた改修を原型に近い形に戻す。③連棟となっている隣家が解体された場合にも自立するようにする。④職人には正当な対価を支払い、かつ納期は無理をいわないことにより、伝統的な技法を承継できるような機会にする。⑤可能な限り新建材は用いない。⑥総じて、私の死後や、やむを得ない状況で売却されたときにも「これだけ正しく丁寧に改修されているのだから、壊さないで今後も維持するようにしよう」と思ってもらえる改修とする、などです。
この京町家が最初に完成したのは、江戸末期と推察されています。古すぎて確認できないため、確かなことはいえませんが、工事中に露わになった構造内部から江戸期に流通していた寛永通宝が多数出てきたことや、京町家の研究を専門にされている先生から「明治期の様式としては、辻褄があわない」と発言されていたことなどから、蛤御門の変(一八六四年、幕末の衝突によって京都で大火が発生、市中心部の建造物はほとんど焼け落ち、「どんと焼け」と呼ばれるほどの事変となった)より前の建築と推定されています。本物件が存在するのは堀川三条を少し西に入った場所にあり、記録を紐解くと、どんと焼けの大火は当時まだ水の流れがあった堀川より西には及んでおらず、この大火を生き残った可能性が高いのです。そのような貴重な京町家に縁があり、保全できることは実に名誉なことで、ありがたいことです。
京町家は「うなぎの寝床」と呼ばれる間口が狭く、奥が深い構造で、多くの場合中庭を備えています。先人たちはエアコンのない時代から、この中庭と、表通りの間を気温差によって風が流れる仕組みにすることで、暑さをしのいできました。今はさすがにエアコンをつけていますが、庭と表の扉を開くとちゃんと風が流れてくれるので、外よりは涼しさを感じる構造になっています。今回の改修では庭を本来の日本庭園に復活するとともに、水が奏でる自然音としての高周波を敷地と建物に充満させるべく、弊社でも販売している室内用の水琴を製造している有限会社ティーズ・コーポレーションの大橋社長に依頼し、屋外型の大型水琴窟を埋設しました。これによって、風だけではなく、可聴、不可聴両方の癒やし振動が訪れる人を覆う設計にしています。
最後に、この京町家再生でもっとも人目を引く存在がこの、おくどさん(竈)です。伏見にある農家さんの京町家が改修されるにあたり、不要となったおくどさんを解体することになるので引き受けてくれないか、とのお話をいただきました。れんがの一つひとつに番号をふってから解体し、私たちの京町家に移築しました。残念ながら世知がない現代のこと、消防法の関係で薪を焼べることはできませんが、この世から消えてしまいそうだった明治期のおくどさんを承継することができました。この京町家、当面はイベントスペースや子ども食堂として活用しつつ、飲食店としての開業を目指しています。ぜひ京都にお越しの際にはお立ち寄りください。




