「道草」という言葉には、なんとなくネガティブなイメージがつきまといます。慣用句で言えば「道草を食う」となり、馬が目的地に向かう途中、道ばたの草を食べていて、進行が遅れてしまうさまを表します。転じて、私たち人間も何らかの目的に向かっている途中に、何らかのことに時間を費やしてしまい、結局遅くなるじゃないか、それじゃダメだ!というニュアンスが含まれています。最近の男性に急激に増えているのが帰宅恐怖症で、家にかえっても居場所もないし、精神的に休まらないからと、それこそハシゴで飲み歩いたり、ネットカフェで時間をつぶしたり、結局カプセルホテルに泊まる方が落ち着くということで、何日も家に帰らない強者もいるようです。告白しましょう、私も毎月の原稿に向かい合うまで、種々雑多な雑事に追われながら、なかなか原稿書きに向かい合えません。書きはじめてしまえば作業の一環なのですが、何を書こうと考えつつ何も思い浮かばないという焦りや、毎月毎月追われているという感じが、私を道草に向かわせます。男たちの恥ずかしい事情を晒した挙げ句、今回は道草の効用について考えてみたいと思います。
子どもの成長と道草
仕事上、毎日いろいろな方とお会いしていますが、ユニークで行動的、クリエイティブな人ほど、若い頃にたくさん道草を食ってきた方が多いように感じます。とくに自然食や社会問題に関係する人はそんな傾向が強いようで、いろいろなことを経験しているうちに、ほんとうのことは何だろうと問うようになりこの道に入った、という経緯を辿るようなのです。小学校時代、道草食いに情熱を燃やしたというある方は、その後の勉強に一切苦労することもなかったといいます。同級生たちがまっすぐ学校と家を往復するなかで、この方には毎日の通学路は見たり触れたり、対話したいものがいっぱいだったのです。ときにそれは外側のことだけではなく、自らの内側の何かだったのかもしれません。誰にもコントロールされることのない好奇心が道草を促し、人の知的欲求に火を付け、結果的に成長の過程で全てのことを学びと捉える心が育まれます。道草には評価も制限もありませんから、誰かのためにする勉強ではなく、自らの血肉となる学びの姿勢は一生消えることのない灯火となるのです。ある種の大人に対する背徳感や自己決定の過程は、子どもの自立を促す効用もあるでしょう。残念なことに、最近は子どもたちが安心して道草を楽しめる環境ではないというところも多いわけですから、道草なんてとんでもないと考える方がいらっしゃることも理解しています。そんなときには道草の解釈を広げ、記憶型の学習を体験型に変えるという考え方はいかがでしょうか。世界中のセレブリティーはオルタナティブ教育(第三の教育)に向かっています。知識を蓄える教育に対抗する、道草教育法にあえて高いお金を払っています。教師が教えることを子どもはせっせと覚えるだけという一方的な学びを、双方向的に展開するのです。残念ながら、子どもたちの自由で闊達な関心は必ずしも大人の意図している方向に向かうわけではありませんから、ときに学び自体が道草を食うことになってしまうかもしれません。教える大人も予想外の事態に対応できる根気と努力が必要になります。しかし、先進国における知識偏重教育には未来がないことは各国の教育者の間でも指摘されています。不寛容が台頭するこの先の複雑な時代を生きていく子どもたちにこそ、問題解決力が必要になることは明らかであり、知的な道草こそが、難しい時代を生きていくキーになると考えています。
大人こそ道草を
ある取引先の方は、とある難関国立大学を卒業後、音楽で世界平和を実現したいと願い音楽活動をしている中で、宇宙自然との共生をテーマに、沖縄の離島で原住民のような採集生活を実践。その後、音楽ではやはり食べられないと思い知ったのちに、何か手に職をと公認会計士になりますが、お金の汚い世界はもうお腹いっぱいと、今は言霊で自己実現をサポートするシステム開発に従事されています。いっぽう、社長と呼ばれるようになった私は今も道草が大好きです。目的地に直行して用件を済ませ、まっすぐ帰ってくるだけでは全くといっていいほど好奇心が満たされません。突然異国の瞑想道場にこもることもあれば、街を徘徊し、直接仕事に直結しない国の雑踏の中で突然気づくことの広さと深さに感動するというようなことは、日常に追わているだけでは決して出会えません。これほどわかりやすい道草でないとしても、大人はときに自らや家族の病気、経済的困難などに直面することがあります。これを幸せに向かうための困難そのものであり、とても不幸なことと考えるよりも、ちょっと道草を食っていたくらいの感覚になれたらどうでしょうか。私たちはまっすぐ目的地に向かう、予定したとおりの人生を過ごすわけではありません。道草は決して悪いことではない、むしろ積極的にそれを選択していると思って生きることは、必ず誰にとっても力になるのです。愛を込めて、あなたの道草にバンザイ!
プレマ株式会社 代表取締役
中川信男(なかがわ のぶお)
京都市生まれ。
文書で確認できる限り400年以上続く家系の長男。
20代は山や武道、インドや東南アジア諸国で修行。
3人の介護、5人の子育てを通じ東西の自然療法に親しむも、最新科学と医学の進化も否定せず、太古の叡智と近現代の知見、技術革新のバランスの取れた融合を目指す。
1999年プレマ事務所設立、現プレマ株式会社代表取締役。
保守的に見えて新しいもの好きな「ずぶずぶの京都人」。