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中川信男の多事争論

「多事争論」とは……福沢諭吉の言葉。 多数に飲み込まれない少数意見の存在が、 自由に生きるための唯一の道であることを示す

プレマ株式会社 代表取締役
ジェラティエーレ

中川信男 (なかがわ のぶお)

京都市生まれ。
文書で確認できる限り400年以上続く家系の長男。
20代は山や武道、インドや東南アジア諸国で修行。
3人の介護、5人の子育てを通じ東西の自然療法に親しむも、最新科学と医学の進化も否定せず、太古の叡智と近現代の知見、技術革新のバランスの取れた融合を目指す。1999年プレマ事務所設立、現プレマ株式会社代表取締役。保守的に見えて新しいもの好きな「ずぶずぶの京都人」。

【Vol.97】インターネットの光と影

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「インターネットからの情報に過剰に接触すると、気がつけば心が殺伐としている」という気持ちになることはありませんか? 最近はあらゆる情報がネット上に溢れ、コミュニケーションさえもネット頼みということはごく普通になってしまいました。特にこの数年のネットサービスの変化は、私たちの心にも大きな影響を落としている気がしてなりません。いつもメッセージが入り続け、相手の既読状態までわかるLINE。誰がどう反応するかが気になるFacebook。どうでもいいような話まで流れ込んでくるネットニュースや、射幸心を煽られなんとなく人と繋がった気になれるネットゲーム。さらに溢れるマーケティングメッセージ。ネットでお買い物をしていただく私たちがこのようなことを申し上げるのは気が引けるところもあるのですが、上手につきあうことを真剣に考えないと、気がつけばネット依存症の一歩手前ということが当たり前になってしまいそうで、あえてこのテーマを取り上げてみます。

「繋がる」過敏症

私がインターネットを使い始めたのは、弊社の創業とほぼ同じ十五年くらい前のことです。当時は、モデムという電話線に繋いで、データは「ピー・ガラガラガラ……」という音声を通じてやりとりされるものでした。海外にいるときなどはそれは大変で、通信するためには努力や根気が必要でしたから、必要以上のデータをやりとりすることはある意味制限されていたわけです。ネットシステムの会社の社長に聞けば、最近の若者たちはWi-Fiなり携帯からのデータ通信でどこでもいつでも繋がるのが当たり前で、その「ネットに繋いでいる」という感覚すら希薄だといいます。私たち日本人が水は水道をひねれば当然でてくるものと思っているのと同じように、ネットが最初から普通の世代にとってみれば、大人が地中を遠路繋がってくる水道管の存在を意識しないのと同じように、繋がっているのは当たり前、なぜ繋がっているのかを考える理由がないというのです。この十五年で起きた変化はとても大きなもので、私のようなおじさんには理解できない、深いところの認識の世代差があります。

そして、「繋がる」ことが当たり前になった一方で、つきあい方を間違えると、繋がっているのに孤独を感じてしまい、また繋がることを求め、そしてまた殺伐とした気持ちを抱えながら何かの反応や刺激を求める、いわゆる依存の状態にはまり込んでいきます。特にややこしいのが、人と繋がるためのツール、それはLINEであったりFacebook、Twitterであったりします。ゲームにはまり込んでいるから依存症、という判断は医学的にも判別がしやすく、どちらかといえばわかりやすいのですが、ネットに繋がることを中毒的に求めているというよりは、人の反応やネットに繋がっていないときも常に誰がどう思っているかが気になる、という状態がさらにやっかいでわかりにくいのです。また、望まなくてもネガティブワードがちりばめられた情報も自然に目に入りますから、思考そのものがネガティブな方向に向かってしまうという方も多いでしょう。ネットに繋がってるときの姿勢も問題です。パソコンにしろ、スマホにしろ、画面を凝視して首と頭は自然に下向きになりますから、考えも下向きで外の感覚が失われます。駅でスマホを片手に歩いている人には周りは見えていないのです。繋がっているはずが、ネットから出てくる何か以外には意識が向かなくなっているそのとき、私たちはほんとうに繋がっているといえるのでしょうか。

「絆」から自由になろう

このような変化は、振り返れば東日本大震災のあとくらいから本格化したように思います。あの大混乱のとき、電話が不通になってもTwitterやメールでは連絡が取れた、という光の部分がさかんに報道されました。そして、「絆」という言葉が連発されるようになり、人と繋がることはよいことだ、日本人は理性的で助け合う素晴らしい民族なんだ、外国ではこんなことはないというちょっとしたナショナリズムの台頭を後押しした感があります。震災後、ある獣医さんと絆という言葉について話をしたことがあります。「絆」はもともと犬や家畜などを繋ぎとめておく綱のことを称する言葉で、それが転じて分かちがたい結びつきのことを意味するようになりました。私たちは、この数年もともとの「絆」……首にかけられた綱に影響され続けていないでしょうか。人と人が助け合い、分かち合い、思い合うことはとても大切で、美しいことです。もちろん、ネットがそのきっかけになることはたくさんあります。ただ、下手をすると、気がついたら誰かに思考をコントロールされていたということにもなりかねない危うさもそこに潜んでいるのです。ネットは直接の対話すらも減らしてしまうかもしれません。仕事なら仕方ないとしても、大切な人とはそれだけでは足りないはずです。暗い話題を振ってしまいましたが、これを機会に溢れる情報から主体的に取捨選択すること、または意識的にネットと距離を置く時間を取ることも考えていただけると幸いです。それが、今足りない感情の何かを、そして人と人との結びつきを満たしてくれる始まりになることを期待しています。

- 中川信男の多事争論 - 2015年10月発刊 Vol.97

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