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鍼療室からの伝言

鍼灸師の西下先生による陰陽や自然食。二十四節気など古来の智恵のお話

圭鍼灸院 院長 鍼灸師
マクロビオティック・カウンセラー

西下 圭一 (にしした けいいち)

新生児から高齢者まで、整形外科から内科まで。年齢や症状を問わないオールラウンドな治療スタイルは「駆け込み寺」と称され医療関係者やセラピストも多数来院。自身も生涯現役を目指すアスリートで動作解析・運動指導に定評がありプロ選手やトップアスリートに支持されている。

素直に生きる

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「素直に聞けないのか」。過去に何度となく言われてきました。人と異なることがあるのは自覚しつつ、自分の心に素直でありたいと思うのです。とくにこの一年半は何度も言われました。

新型コロナウイルスのワクチン接種について尋ねられ、どうすべきかではなく、私個人の判断として「必要ない」と繰り返しました。コロナに感染し、ワクチン接種してないことが原因で命を落とすより、交通事故にでも遭って命を落とすほうが確率は高そうだと判断したから。あくまでも確率論なのでわずか数%とはいえ、自分がそこに入らないとは限らないし、だから人にどうしろとも言えなかったのです。

時間の経過とともに、接種が「二回」から「三回」に増え、次は「重症化を防ぐ」と目的が移り変わっていくのを、おかしいと感じています。勝手に変わっていく目的に振り回されることが「素直に聞く」こととは、やはり思えません。

そもそも「重症化を防ぐ」のも疑問。「接種したワタシ」と「接種しないワタシ」が同時に存在し、同時に感染・発症してからの経過を見ない限り証明できない。「接種したAさん」と「接種しないBさん」では、病歴も体質も生活習慣も異なるのに単純比較できるものではないでしょう。こんなことを言うとまた「素直に聞けない」のでしょうか。

「素直に聞く」のと「なんでも信じる」のとは違います。素直に聞くとは聞いた話を理解する、または理解しようと努め、さまざまな解釈をしてみて、それでも疑問が拭えなければ信じないこと。自分で考えて判断しないと、誰も守ってはくれません。

対極を描いてみる

先日こんな相談を受けました。主治医から抗ガン剤と手術を勧められたが、ご本人は納得できない。ほかの治療法を検討したいと伝えると、ご家族に「現在の姿から半年後に変わってしまったらどう思われるか」と問われたそうです。「そのときに後悔しないために、なんとしてでも連れてきて受けさせる」と家族が答えてしまった。さぁ、どうしよう?と言うのです。

ご家族に気持ちを聞かせてもらい、私からは一言「無理に受けさせて、今度は副作用で大変な目に遭ったらどう思われるか」尋ねました。やはり「後悔する」。ではどちらの後悔が大きいか? 「無理強いしたほうが一〇〇倍大きい」。その理由は? 「本人の意向を尊重しなかったから」。最初の回答では後悔したかもしれません。なによりご家族が気持ちに寄り添えたのがかけがえのないことだと思いました。

先のことはわかりません。治る・治らない、副作用が出る・出ない、どうなるかの結果より、素直な気持ちに寄り添うことのほうが大切なのではないでしょうか。

ただ、言われるままを受け入れるのではなく、その対極を描いてみることで、本当の気持ちに気づけることもありそうです。

自分の人生を生きる

ときとして、大切な判断を他人に委ねてしまうことがあります。一人で悩むことは苦しいし、誰かの言う通りにする方が楽。だけど、それで望む結果を得られないとき、人を恨みがち。誰かを恨んで生きていくなんて、もったいない。その人を恨むより、言いなりになってしまった自分を反省する。それが自分の人生を生きるということでしょう。

禅の言葉に「本来面目」とあります。「本来」とは初めからの状態、「面目」は姿形、容姿のこと。人が本来もっている、人としての心の本質を意味します。利害や損得、地位や肩書き、物に対する執着を取り払って、本質を見極めること。執着を完全になくすことは難しくても、それを一時的に外してみることはできる。そうして外した姿を見つめてみる。

人からどう見られるかが気になったとしても、それよりも自分の心には正直でありたいものです。

- 鍼療室からの伝言 - 2022年10月発刊 vol.181

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