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インタビュー取材しました。

「知ること」は目的ではない
野村隆哉研究所 野村隆哉先生インタビュー 後編

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びんちょうたんコムでは「オータンの木のおもちゃ」でおなじみの野村隆哉先生。弊誌では「子どもと情緒」「生物経済学事始」などの連載コラムも執筆していただきました。森林資源調査や樹幹廃材有効利用プロジェクト指導で国内外を飛び回る一方、あたたかい子どもの木のおもちゃを造る野村隆哉先生にお話をうかがいました。その後編です。

1939 年生まれ。京都大学農学部林学科卒業、京都大学木質科学研究所退官後 株式会社野村隆哉研究所、アトリエ・オータン設立。専門分野は木材物理学、 木文学。木工作家。木のオモチャ作りは70 年頃から。朝日現代クラフト、旭川 美術館招待作家。グッドデザイン選定、京都府新伝統産業認定。楽器用材研究会主宰。 著作として『木のおもちゃ考』『木のひみつ』ほか。

 

 

 

 

 

 

情報発信は「アピール」だけ「解決」に向けて深めていない

―日本人が「手を使う」流れになっていくにはどうしたらいいのでしょうか?

ミヤコワスレは庭のあちこちに植えられている。
植物の名前も現代人は意外に知らないが、野村先生はとても詳しく一つひとつ教えてくださる。

野村 見せる、そして、体感させるしかありません。僕はオイルパームを成功させ、利益の一部を投資して、研究所の敷地約1200坪に拠点を作る予定でした。今の学校教育では、人間教育は絶対に無理だと思ったのです。 しかし、残念ながらオイルパームのプロジェクトが頓挫しました(11月号参照)。そこで通産省の傘下にあるNEDOに資金提供を依頼したところ、個人事業主であることを理由に避けられたので株式会社にしたのです。でも、法人税や固定資産税がかかり、その間にアイデアや知恵だけ盗まれる。そのなかで基本となる自然環境整備すべく庭づくりに励んでいますが、少人数で世話をするのは大変です。めだかが減ってきたと聞くと、めだかを育て、蛍がいないと聞くと餌となるカワニナを川から捕ってきて池に入れてやる。しかし、いつの間にか池の底にはヘドロが溜まりカワニナが育たないと判明しました。普通ヘドロは、生活排水や工業排水によってできるものですが、山から出てくる。原因は、杉です。杉の葉が落ちると分解しにくいフミンに変わりヘドロになる。フミンが溜まると貝は住めなくなります。有名な琵琶湖の瀬田シジミは年間5千~6千トン取れていたのに、今は、60トンも取れない。おそらく琵琶湖の底には数十メートルのフミンが溜まっているのではないかと琵琶湖環境科学研究所に問い合わせてみましたが、調べていないようです。前号のオイルパームの話も、朝日新聞の記者が特集記事にしてくれましたが森林破壊を警告するだけ。解決の道を開くための資料を送ってみたものの返事はありません。今回の記事も、直接「深める」には繋がりません。情報発信は「アピールすることだけ」が目的になってしまう。僕なら問題があれば解決することを考える。そのための手段は必死で探す。でも多くの現代人にとって「手段」は「解決」を目的としていないようです。

―「どうしよう」で終わってしまう。

野村 そうです。『生きもの地球紀行』などの番組で、美しい命が紡ぎあう姿が映されますよね。ライオンがシマウマを捕まえて食べるのは残酷に見えるかもしれませんが、人間が殺している牛や豚の数は凄まじいもの。多くの人は牛や豚のことをよく知りません。肌に触れるように育てた経験がないので「肉の塊」と認識しています。牛や豚は命を紡いでくれる存在です。「ありがたいな」「大事に食べなければ」「ごめんね」という気持ちがないのは問題です。昔聞いた話ですが、アフリカのケニアのある部族では、牛を生贄にする習慣があったらしく、その生贄の牛が、自分から率先して生贄となる場所に行くのだそうです。

―人間となにか通じ合っているということでしょうか?

野村 そう、通じてる。自分の仲間が大事にされていて、そのための犠牲だからとわかっていたのでしょう。そんな話を聞くと、みんな命であると感じます。動物は人間と同じように情緒を持っているのです。それなのに人間は平気で屠殺している。ジェレミー・リフキン著『脱牛肉文明への挑戦―繁栄と健康の神話を撃つ』に、どれだけたくさん牛が殺されているか書かれています。

 

知恵は五感︑五体を使って初めて身につくもの

野村 「命」を共有できれば、争いもいじめもないはずです。うちの子も僕も、いじめられたことはあるけれど、いじめた記憶はありません。不本意で知らず知らずということはある。いわゆる未必の故意ですね。でも、未必の故意が多すぎます。

―大切にするということができなくなっているのは、物があふれているから?

「命をムダにしないことが「深める」ということ」と
野村先生。この照明はコースターをくり抜いたものを利用している

野村 そういうこと。物質文明において、大量生産、大量消費のシステムができると「いかに消費させるか」という流れになる。自動化が進むと、遺棄されるものが増える。そのうち間違いなく人間が捨てられるようになる。それをなんとか阻止しなければとがんばっていますが、大部分の人間はそういう考え方をしていないようです。 誇張表現になるかもしれませんが、大別すると人間には二種類います。他力本願の人間と、自力本願の人間。自力本願の人間は他愛的。他力本願の人間は自愛的。でも、99・99パーセントが他力本願。僕は、そう感じます。ところが、他力本願の人間には、ちゃんと自力本願の人と同じ他愛の部分も内在しているはず。それを引き出すシステムが育っていないだけなのです。このシステムを育むのは人から人への知恵の伝承です。知識は脳だけを働かせば済むのですが、知恵は五体、五感を駆使しなければ身につきません。人から人への伝承とは、伝える者、伝えられる者がお互いに五感、五体を使うことで初めて実現するものです。世界中の田舎には、人のつながりを大事にしているエリアがある。都市部の人間は、仕掛けることについてはなかなか上手だけれど、みんな「手段」に走りがちです。ちゃんと根っこがあって、そこからいろいろな形に発展させていく。その根っこは揺るぎもしない。そういう根っこが「手段」に走る人には無いのです。 「深める」というのはものすごく孤独な世界です。しかも、時間がかかる。深めるとは「時間」なのです。だから、忙しい現代人には、その機会がない。書籍も「読むこと」に満足してしまう。例えば、レイチェル・カーソン著『沈黙の春』の日本語訳が出たのは昭和30年代。当時ブームになりましたが、現実は何一つ改良されていません。

―知って理解したつもりになる。

野村 そうです。でも大事なことは、読んで触発された結果、「実際に今、自分にできることはなんだろう」「具体化できることはなんだろう」と動くこと。 「木育」と称して「おもちゃの美術館」などができているけれど、その先のことまで考えている人は少ない。その先に行くために、少々しんどくても僕のような人間ともつきあう……ということはしない。なぜなら自分という存在が薄くなってしまうから。己が大事。目的がない。

―「深める」には目的も必要……

野村 そうです。深める目的はなにかということ。一番わかりやすくいうと「命の連帯」を知ってもらうこと。僕の目的は、世のため人のためです。

―なるほど。「つながること」「協力すること」も必要ということですね。

野村 「人になにかしてやりたい」というのも人間の本質。それをどう引き出すか。爪も牙も持たない裸の人間は、自然のなかでは動物に食われ、一人では防御できません。だから、互いにいたわり助け合うことが重要です。

「安心」できる「場」があれば他愛的な「心」を取り戻せる

―現代には、そういった危機感がないから他愛的ではないのでしょうか?

研究所の広くて色彩豊かな庭を散歩するだけでも元気がわいてくる

野村 時代でしょうね。そして、自己防衛のために人間が構築したのが「技術」です。ヨーロッパで12~13世紀にあれだけ素晴らしい建物を造ったのは権威のため。それは他力本願のなかの突出した人間です。他愛的で自力本願の人間なら自分で作る。生命として劣化した人間が権力を持つのではないでしょうか。本当の意味で力を持った人間はマイウェイです。物質文明が肥大化するなか、99・99%の他力本願の人のなかから権力志向の人間が増々特化してきているようです。権力を行使するために一般大衆が何を求めているかを精査する。例えば「情緒」が求められる時代になると、「情緒産業」をいち早く立ち上げる。そんな状況のなか、みんなのなかに鬱鬱としたものが生まれ始めています。

―それが表面化して社会問題にも?

野村 そう言えます。だけど誰も解決できない。みんな同じ穴の狢だから。 「深める」なら「場」で体験させること。例えば、蛇の見分け方、捕まえ方。どの蛇を触ってはいけないのか。マムシがいたとしても、怖がらず触らなければいいのです。危険だと感じたら、マムシをどう捕まえるか。僕は、マムシを目の前で捕まえて見せます。多いのは、よく知らずに「マムシは怖い」という発想。だから棒で戦おうとする。でも、知っていれば戦わなくて済みます。噛まれないようにすればいいだけです。

―なるほど。「知らない」「怖い」からやっつけてしまうんですね?

野村 そう。「怖い」も刷り込みです。私の子どもたちは幼いころから私に教えられているので平気です。本来、親が子に自然との関わり方を教えるべきところですが、それができていない。特に自然が少ない都市部では顕著です。先日も妹の孫が遊びにきて、昆虫の標本を見て「バイオリンムシや」と言うのです。よく知っているんですね。でも散歩に連れていくと、虫に触れない。捕まえ方を教えると捕まえられるようになりました。危機的状況だと思います。自然学習などしているところはありますが、指導できる人が少ない。木育でも、自然学習でもそうですが、関わる人が、基本である「思いやり」や「やさしさ」を持ち、それを共有すべきです。基本をおさえたうえで、医者でも、教師でも、銀行マンでも、好きな仕事に就けばいいのです。 今の時代、女性のほうがいい感性をしていますよね。食や環境問題にも敏感です。本能的に危機感がある。

―子育てで環境や食生活に問題意識を持ち始めたり、セラピーをしたり……

野村 そうですね。でもセラピストも要らないはずです。「思いやり」や「やさしさ」は本来、人間に備わっているもの。それを解放してあげる場が必要です。例えば、不調な人がこの研究所へ来ると、帰るときにはキラキラしています。

―自然があれば病気も減りますよね?

野村 それと自分を素直に認められる「場」が存在することも重要です。このテーブルや椅子もそうです。もたれられる角度に椅子を作ってあり、ご飯を食べたあと、ゆっくり対話できるようにしてあるのです。こういったアイデアを実現できる「場」。そして、それを共有する「つながり」が重要なのです。

 

- 特集 - 2017年12月発刊 vol.123

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