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特集

インタビュー取材しました。

向き合うことで 生まれくるもの 後編
就職ジャーナリスト 岡本武史氏

投稿日:

将来の夢を探しにくい日本で、就職情報誌はインターネットの
ない時代、仕事探しの羅針盤でした。そんな就職情報誌『B-ing』
『とらばーゆ』の関西版編集長を歴任し、現在、就職ジャーナ
リストとして活躍する岡本武史氏は、アマチュア時代の吉田拓郎
のバックにいたこともある元シンガーソングライター。その
ユニークな経歴と共に「疲れ」と「老い」について伺いました。

岡本 武史(おかもと たけし)
1950 年和歌山生。大学卒業後、建築会社の設計、広告代理店のコピーライターを経て、1976 年(株)リクルート入社。就職情報誌「ビーイング関西版」「とらばーゆ関西版」等の編集長を歴任。
1999 年独立。企業・業界団体・大学・高校に、各種セミナー、管理職研修、就職指導、採用・育成コンサルタントなど。マスコミ出演、新聞・雑誌コメント掲載多数。現在、岡本武史事務所代表、(株)バードランド取締役、パーソルキャリアコンサルティング専属ファシリテーター等。講演・研修実績4250 件以上。

 

 

50代半ばの過ごし方で60代の人生は変わる

—現在のお仕事について教えていただけますか?
岡本 主に企業へのキャリア研修です。今は実質65歳定年の時代。50代半ばの方に、残り10年をどう過ごすか、その間の働き方や定年後のことについて話し、これまでの経験の棚卸をしたり、価値観がどこにあるのかを確認したり、ワークを通して気づいてもらいます。

「老い」について50代半ばの受講者の方たちは、一般的に2つのタイプに分かれます。ひとつは、まったく老いを意識していない人。5~10年後も今の状態のまま過ごせる、60歳になろうと、今の体力で、現在の継続業務をこなすなら楽勝だと思っておられます。そんな方には50歳代後半になって、60歳が近づくと体力も気力も劇的に劣化する、努力しないと去年と同じ仕事ができなくなる、ただこのまま現在の延長線上にいられるわけではない、とメッセージします。私も毎朝10キロ走って、やっと体力を維持していると自身の事例も含めて話します。もうひとつのタイプは、老いを受け入れている人。50歳代半ばにして、すでにギブアップしている人ともいうことができます。この人たちには逆に、これからががんばりどきであるとメッセージします。私自身も50歳で独立して事務所を構えて、一番仕事をしたのが50代なので、やはりこれも自身の事例を話します。そして、両タイプの受講者に共通してメッセージすることは、50代半ば~60歳までの過ごし方、仕事への向き合い方が、その先の定年後に繋がるのだということです。実は、「定年後の自由な時間」を計算してみると、会社勤務時代の総労働時間と同じぐらい。そんな莫大な時間が将来、横たわっているにも関わらず、いまこの時、何も準備せず、のほほんと過ごして大丈夫ですか?と問い掛けるイメージです。
—50歳で退職したのはなぜですか?
岡本 実はリストラの責任を取った形でもあります。70人ほどリストラしたので、最後は責任を取って退職したわけです。人を辞めさせておいて、自分だけ残ることは考えられませんでした。
—音楽の道に戻ることは……?
岡本 まったく考えられませんでした。いわゆる燃え尽き症候群です。退職後、なにもしなくていい状況に心底拍子抜けして、「自分ってなんだろう」とまで考えてしまいました。朝起きて公園に行って電車が走っているのを見ているうちに、本当に飛び込みそうになってしまったこともあります。そのとき、いろいろな人に助けてもらいました。以前より大学などでの講演で「偏差値の高い大学を卒業した人間が、なぜこんなに仕事ができないのか」などと話していたので、それを覚えていた京都の大学のスタッフに講師業に誘っていただいたこともあります。リクルート在職中、就職担当だったそのスタッフが、学生をインターンシップに行かせたいという要望で大阪支社に来られたものの、人事部で断られてしまったそうです。そのとき僕を思い出して訪ねてきてくださったので、僕の裁量で編集へのインターンシップを何度か受け入れたという経緯がありました。その方が僕の退職を知り「恩返しをしたい」と大学講師を依頼してくださったのです。

これまでにないものを作る夢プロジェクトに挑戦

—リクルート在職中は「老い」を感じることはなかったのでしょうか。
岡本 ありませんでしたね。平均年齢が低いので、当時、50歳を過ぎている社員は大阪支社1500名ほどのうち、5名ほど。一般的な会社ではあり得ませんよね。中途採用で入った僕の場合、年上の人に仕事を教えてもらったということがあまりありませんでした。扱いにくかったかもしれませんね。叱りやすい人っているじゃないですか。
—それ、私です。「打たれ強いから言いやすいし、それが強みだ」「人から叱られなくなったら人は成長できない」と編集の先輩に言われました(笑)。以前、銭プロジェクトと、夢プロジェクトを平行していると伺いましたよね。
岡本 独立してから、お金を稼ぐための銭プロ、夢を実現するための夢プロの両方をしていこうと意識しています。退職してからリクルートのつながりでさまざまな仕事をもらいましたが、ウェブ系の仕事に疎いなど、なかなか応えられないことが2〜3年続きました。恥ずかしい限りです。知人の広告制作会社のオフィスの一部を間借りして、そこに机を置いてもらって、その会社の役員をしていたこともあります。そのときは大手コーヒーメーカーの社内報の制作に関わっていました。僕が編集企画担当で、その会社のスタッフが編集の実務を担ってくれていました。
そのころの夢プロは小説の執筆ほか、いろいろなことをプロデュースしたり、新しいものを作りたいと挑戦したりしていましたが、だいたい失敗していましたね(笑)。なんとか仕上げたかったのは「センステスト」。よく「適職診断テスト」みたいなのがありますが、あれは恣意的にチェックしていけば、結果が予想ができますよね。そうではなく、本人も気づかないようなところにある隠れた才能を見つけるような……例えば、包丁を一本持たせると、切らなくても持っただけで、その道のプロから見ると料理が上手いかどうかがわかる。そんなテストです。僕の場合、自己紹介をさせたらコピーのセンスがあるかどうかはわかります。デザイナーなら、線一本引かせたらデザインのセンスがあるかどうかぐらいはわかるそうです。質問で答えるのではなく、実際になにかを体験させて、「あなたは気づいていないかもしれませんが、実は、こんなところにセンスがあります」とわかるようなプログラムを考えてみました。それまで目を向けていなかった職業にも興味を持てそうだと思ったのです。例えば、デザインなんて考えたこともなかった人でも、「君はデザインのセンスがあるよ」と言われたら、興味を持つかもしれませんよね。日本には680種類ほどの職種があるので、中学生や高校生にそういうテストをして、どれに一番近いセンスがあるか、教えてあげられたらと思ったのです。物を持たせたり線を引かせたりといった立体的なテストができればと……。でも、残念ながら頓挫しました。
—体験させて判断するテストですか?
岡本 そうです、具体的に体験することで見えてくるような。だれも思いつかないようなことをやろうとしたら、やっぱりできあがりませんでした(笑)。

—編集の講師もしておられますか?
岡本 いまはほぼキャリア研修のみです。3年前に仕事を厳選してかなり減らしました。大学の講師も家から遠いので、週1日にカリキュラムを詰めてもらいましたが、片道2時間近くかけて行き、90分の講義を3コマ続けて持つとなると、さすがに厳しいですよね。その日のうちに研修のために東京出張に行くようなスケジュールでしたので。
実は、銭プロを意識し始めたときに、最初は「仕事は請けるだけ請けてみよう」と思ったのです。朝、昼、晩、1日に3回講演をしたこともありました。そんなことを一年間続けているうちに、一度、倒れてしまったのです。当時の年収は3000万円。これが自分の限界なのかと。世の中にはビジネスマンでも1億円稼げる人もいますよね。でも、死ぬほど働いて年収の限界の壁を悟った瞬間に、あきらめがつきました。年収1000万円に減っても、充実した暮らしがしたいと思いました。
—結局、数をこなす必要がある……
岡本 そう。労働集約でしかない。おかげで吹っ切れました。講演をするなら書籍とセットで売らなければと言われますよね。書籍があると講演料も上がるようです。でも「著書は?」と聞かれたら僕は、「とらばーゆとビーイングを2000回出版しました」と、言っていました(笑)。

「音楽」を通して自己解放する喜びを広めていきたい

—出版する予定はおありですか?
岡本 言葉はリアルタイムで伝えることが大事だと思います。情報は文字に書いてしまった時点で、すでに古い。
—根底にシンガーソングライターの「ライブ感覚」があるのでしょうか?
岡本 そうかもしれませんね。小説なら違うと思うのですが、実用本はすぐに色褪せていく気がするのです。
—今後の夢プロはいかがですか?
岡本 イベントを開催したいと思っています。いろいろな人がステージに立ってオリジナルの歌などを表現することによって心が解放される。そういう場を作ってサポートしたいと思っています。人生最後の夢プロジェクトです。
実は、僕は小さいころから吃音症で、小学生から高校生まで、教科書の音読のときにからかわれて嫌な思いをしてきました。そこで、吃音症をサポートすることで世の中に恩返しできないかと考えました。そして、僕が吃音症から救われた原因を紐解いていくと、「音楽だ」ということを思い出したのです。音楽を通してサポートするほうが、僕らしいのではないかと。
吃音症にもいろいろあり、書かれた文章なら読めるという人もいますが、僕の場合それは苦手で、歌なら歌えた。大学を卒業する前に、最後のつもりで1500人収容の大きなホールでコンサートをしました。そのとき、曲の間のMCで言葉がつっかえてしまいました。「やっぱりダメだ」「また、みんなに笑われる」と思いました。ライトを浴びているステージ上から、客席の様子はよく見えず、「1500人から笑われたら、もう自分は立ち直れないだろう」と思いました。でも、そのときに客席のある男性が立ち上がり「がんばれ!」と言ってくれたのです。すると、別の場所からも女性の声で「がんばって!」と聞こえてきて、場内に拍手が湧き起こりました。ものすごくうれしかったですね。それで僕は救われました。笑うのではなく励ましてくれる。拍手で迎えてくれる。「いつか、一番の欠点である『話す』ことで稼いでやる」と心に決めた、大きなできごとでした。実際、こうして講演の仕事をしているのですから不思議ですよね。この経験が「音楽を通してだれかを救いたい」と考えるようになったきっかけでもあります。キーワードは『解放』。発端は「吃音」ですが、適応障害、発達障害、ひきこもり……いろいろひっくるめて、なんらかの壁を乗り越えた、大きな意味での解放と捉えてもいいかもしれません。僕にとっては音楽でしたが、吃音でも芝居なら話せるという人もいるので、演劇もいいかもしれません。繊細なテーマでもありますし、いろいろな方に相談しつつ思案中です。
僕はコピーライターをしてきて、仕事では言葉の言い換えをいろいろと工夫しているのに、実は、本当に言いたいことを言うのは上手ではありません。そういう人だからこそ、ある種のトンがった言葉が生まれることがある。そして、それがその人の「感性」になっているはずなんです。その人自身の障壁となっているなんらかの問題としっかり向き合うことで、独特の感性が生まれてくる。その感性が心に響いて感動を生むのではないでしょうか。

- 特集 - 2019年3月発刊 vol.138

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