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インタビュー取材しました。

深く世界を知るためにスタディツアーへGO!
株式会社オルタナティブツアー 代表取締役 岩井 洋文氏 インタビュー

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世界を覆い尽くす、コロナウイルスの猛威。世界各国が国境を閉ざすいま、海外ツアーを展開する旅行会社の経営も悪化しています。しかし昨年11月に創業した「オルタナティブツアー」は、近い将来、海外向けのスタディツアーを販売すべく立ち上がった企業で、実はこちら、弊社の代表・中川とも縁のある会社です。弊社とのつながりにも触れながら、逆境のなか創業する理由を聞いてみました。

株式会社オルタナティブツアー 代表取締役
岩井 洋文(いわい ひろふみ)

高校卒業後、鳥取大学農学部へ進学するものの、1年間の海外バックパック旅行の末に、自主退学。その後はカナダへのワーキングホリデー、東南アジア放浪の旅を経て帰国、24歳で東京外国語大学外国語学部ベトナム語専攻に入学。卒業後、29歳で当時は大阪・南方にあった株式会社マイチケットに入社して、スタディツアーの企画、営業、添乗などを担当。2020年に同社が廃業した後、11月に兵庫・尼崎で株式会社オルタナティブツアーを創業。

会社が倒産すると知った途端すべての業務が愛しく思えた

――このコロナ禍に、海外ツアーを主力とする旅行会社が創業したと聞き、驚きました。岩井さんが、昨年11月1日にオルタナティブツアーを立ち上げた経緯を教えていただけますか?

岩井 私は2020年4月まで、マイチケットという旅行会社の社員でした。しかし、昨年4月2日、新型コロナウイルスの世界的な大流行で海外ツアーが催行できなくなり、マイチケットは倒産、廃業に追い込まれてしまいます。
大手旅行代理店の多くは観光を目的とするツアーを催行していますが、マイチケットは途上国を対象としたスタディツアーを主力商品にしていました。スタディツアーは、体験型学習や現地の人々との触れ合いを目的とした旅行商品です。参加した方は、途上国でNGOを視察したり、実際にボランティア活動に携わることができます。

――弊社の中川も、マイチケットさんのスタディツアーのお世話になったと言っていました。10代のころに、タイの山奥の村を訪れたのが、初めてのスタディツアーだったと。人生を変えるような体験だったと聞いています。

岩井 そのころは、まだ私は入社していなかったのですが、それがきっかけでプレマさんの海外出張や社員旅行の手配をご依頼いただきました。マイチケットが廃業した際も、中川社長にはご心配をいただき、本当に感謝しています。

実は私が「会社がなくなる」とマイチケットの社長から告げられたのは、廃業する2日前のことでした。その瞬間、さまざまな思いが頭を駆け巡りました。一瞬、他社・他業種で働くことを考えましたが、私はもう40代半ばを過ぎています。そしてなにより、自分がいかに仕事に生かされていたかを痛感したのです。

旅行会社というと華やかな仕事に思われがちですが、実際のところは、そうではありません。ツアーに添乗すれば、現地でのトラブルは付き物。会社にいれば、航空券とお客さまのパスポートをにらめっこしながら、綴りに間違いはないかをチェックするなど、膨大な事務作業をこなさねばなりません。
私は仕事に不満があるたびに、よく周囲に愚痴っていたことを思い出し、自らを恥じました。いざ会社がなくなる状況に直面すると、自分が担っていたすべての業務が愛しく思えたのです。

私はやはり、いまの仕事が好きでたまらないのだと気づかされました。廃業を告げられた翌日も、いろいろと考えた結果、その明くる日「いつか違うかたちで、会社を立ち上げて、マイチケットの業務を展開したい」と、社長に打ち明けていたのです。

――廃業を知らされたのが2日前というのも驚きですが、たった2日間で会社を立ち上げる決意をしたというのも、目まぐるしい展開ですね。

岩井 状況が落ち着いたら、お得意様が再びスタディツアーに参加してくれるだろうとは考えていました。また現地で実際にツアーの手配を担当するNGOや旅行会社の方々との関係を断ち切りたくなかった。今はスタディツアーを収益の柱としていたNGOも、海外の提携旅行会社も、どこも厳しい状況に追い込まれています。「コロナ禍が収まったら、また一緒にスタディツアーを催行しよう」。その決意を、口約束に止まらず態度で示すためにも、私はオルタナティブツアーを創業する必要がありました。

「途上国=かわいそう」ではないもうひとつの側面を知るための旅

――岩井さんが、マイチケット時代に担当したツアーの内容を教えてください。

岩井 マイチケットのスタディツアーで人気があった渡航先のひとつがタンザニアです。ジャパン・タンザニア・ツアーズという、現地で日本人とタンザニア人が経営する旅行会社と提携して、数々のツアーを催行していました。

1980年代のユニセフのC Mやポスターで、ガリガリに痩せ細ったタンザニアの子どもがフィーチャーされたことがあります。当時の日本では「アフリカの人々」=「貧しい」=「餓死」=「かわいそう」といった、負のループの印象が定着していました。

けれど、タンザニアをはじめとしたアフリカの実情は、それだけではありません。農村に行けば、そこにはゆったりとした時間が流れ、人々の笑顔もあふれている。たしかにお金はないけれど、その人たちなりの幸せな生活があります。

だからこそ、「アフリカ=かわいそう」のイメージを解消したい、「もうひとつ(=オルタナティブ)の旅のかたちを提案したい」との思いを込めて、マイチケットがジャパン・タンザニア・ツアーズと組んだ旅行には、「オルタナティブツアー」という商品名が付けられました。私が自分の会社を「オルタナティブツアー」としたのは、2つの会社の取り組みへの敬意があるからです。

――たしかに、日本では「途上国=かわいそう」のイメージがありますね。

岩井 もちろん、途上国には貧困の問題はあります。けれども、そうではない部分、民族を越えて人間として不変である部分に触れると、外国への理解、そして親しみの情が深まります。

普通の観光ツアーと違って、スタディツアーでは現地の家庭に宿泊することが多い。また病院や学校といった施設の人と触れ合う機会も多くあります。
私が担当したツアーでは、タンザニアのキルビアという村を訪れ、マコンデ彫刻(タンザニアとモザンビークの国境地帯に暮らすマコンデ民族の彫刻)を習うというスタディツアーがありました。首都・ダルエスサラームまで日本から飛行機で半日以上、そこから車で1時間半かけて、村を訪れます。もちろん「アトリエ」といった場所はなく、作業をするのは屋外。木槌とノミを動かして作業をしていると、汗がにじんできます。

異国で現地の人に教わりながら作品を作るうちに、はじめはおそるおそる制作していた参加者の皆さんの顔が、真剣な表情に変わっていきます。体験がひととおり終わったら、充実の表情です。もちろん、普段は使い慣れない木槌やノミを握った手の感覚は鈍くなり、身体も疲労困憊なのですが、水で身体を洗い流して、〝青空居酒屋〟で村の人たちとビールで乾杯すれば、疲れも癒されます。

日本のような娯楽はないけれど、元気いっぱい遊んでいる子どもたちは、日本の子どもよりも楽しそうでした。 そして家族で過ごす時間も長く、子どもたちもよく家の手伝いをしています。 電気も水道もなくて不便ではありますが、 幸せは物の豊かさだけでは計れないと、参加者のみなさまも私と同様に感じていらっしゃったと思います。

他にもタンザニアでいえば、農村に滞在して伝統音楽に触れる、サバンナを訪れる、現地の病院で保険医療事情を学ぶといったツアーを催行しました。

岩井さんが添乗したスタディツアーで、マレーシア・ボルネオ島にあるサラワク州を訪ねた際の写真。イバン民族のロングハウスにホームステイした際に出会った子どもたち

――岩井さんは、マイチケットでいろんな国を対象としたスタディツアーを担当されたと思いますが、この仕事を続ける醍醐味はなんでしょう?

スタディツアーが与えてくれる人生を大きく変えるような感動

岩井 お客さまに「スタディツアーでの経験が、自分の人生に大きな影響を与えたんです」と、言っていただけたときの感動です。ツアーがきっかけで、途上国を支援するN G Oに就職したという方にお会いすると、仕事を通して、その方の人生を応援できた気がして嬉しいです。そうではなくとも、参加した方に、もうひとつの海外旅行の楽しみを提供できることが、この仕事の醍醐味です。

アジア太平洋農耕文化の会という団体のツアーの添乗で、西インド洋に浮かぶ島国・マダガスカルを訪問した際の写真

――岩井さん自身は、昔からスタディツアーに参加していたのですか?

岩井 いえ。普通のバックパッカーでした。大学でやりたいことが見つからず、1年休学してエジプトに飛びました。なぜエジプトかというと、高校生のとき友達と3人で旅に行く約束をしたのに、自分だけ行けなかった場所だからでした。

エジプトからトルコ、ギリシャ、中東と周り、シンガポール経由で東南アジアも巡って帰国しました。大学を辞め、今度はカナダにワーキングホリデーへ。その後はバンクーバーから香港へ飛び、ベトナム、カンボジア、ラオス、フィリピンなど東南アジアを回って、台湾、沖縄へ。1年かけて地元の大阪に戻ってきました。帰国後は、長野県・上高地の山小屋で、2年間住み込みのアルバイトをして、お金を貯めました。そして25歳のとき、ベトナム語を専攻できる大学を探して、東京外国語大学に入学します。

――なぜ、ベトナム語を勉強しようと思ったのですか?

岩井 当時の自分を思い出すと、お恥ずかしい限りですが、「アオザイの美しい女性に話しかけてみたい」と思ったのが理由でした。現地でベトナム語がわからず、なにも話せなかったのです(笑)。

――大学を辞めて何十カ国と旅した結果、決断の理由がそれですか?(笑)

岩井 私、昔からあまり深く物事を考えない性格なんです(苦笑)。東京外国語大学も、単位にならないベトナム留学に1年参加したせいで、留年して卒業しました。気づけば29歳で、もう就職は無理かなぁ? と思っていたら、マイチケットが拾ってくれて、今があります。それでも、自分の人生に後悔はありません。

もし、あのころの自分にひとつ言えるとしたら、「スタディツアーに参加すれば?」です。バックパック旅行は気楽でいいけれど、一人旅では行けない場所、できない体験もある。知的好奇心をもって、現地の人々のくらしに飛び込めば、旅はもっと楽しくなるんです。スタディツアーには、人生や価値観を大きく変えてくれる感動が詰まっています。

正直、創業を決意したときは、コロナの影響がここまで長引くとは思いませんでした。今でもツアー催行の目処すら立ちません。けれども、深く物事を考えてこなかった私の一大決断。再び海外旅行が自由になるときを待ちながら、準備を着々と進めていくつもりです。

- 特集 - 2021年2月発刊 vol.161

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