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特集

インタビュー取材しました。

人生をかけて好きなことをする
猫作家 加悦 雅乃氏インタビュー

投稿日:

自分の思いひとつで「夢」を実現する。成人した一般的な日本人にとっては、すごく難しいことのように感じられます。今回は猫の絵を描いて生きると決めて、高校進学せずに15歳から猫作家として活動する加悦雅乃氏に「好きなことをして生きる」と決めた経緯や想いについて伺いました。次世代の生き方としてひとつの指針になりそうな、その生き方の背景には、強い信念がありました。

猫作家
加悦 雅乃(かや みやの)

1999年生まれ。小学6年生(11歳)で「猫を描く作家」になると決意し、中学卒業後は進学をせず作家活動に専念する。11歳から20歳までの10年間に16点もの作品が入選・受賞。17歳では伝統あるパリの国際公募展「サロン・ドートンヌ展」に初出展し最年少で入選。大胆な構図と繊細な筆使い、独特な感性で表現した猫の絵が評価され、テレビや新聞などで脚光を浴びる。現在、猫作家として個展等で活動中。https://miyano99.com/

子ども時代の成功体験が
「できる」という自信に

——将来を決めたのはいつですか?
「猫作家」になると決めたのは小学校6年のときです。幼稚園のとき、すでに将来の夢として「絵描き」か「ゲームを作る人」と書いています。ゲームでも、やっぱりゲームのなかでなにかを作り出すことが好きでした。でも、やりすぎて倒れたことがあって、以来、あまりしなくなりました。そこから、さらに絵に集中するようになったので、切り替わる時期でもあったのかなと思います。

——絵は親から勧められたのか、自分から描いたのか覚えていますか?
小さいころから描いていた記憶があります。たくさん画材がありましたが、当時は、鉛筆で自由帳に好きなキャラクターや龍などを描いていました。小学生のときには、描いた絵を友達に配ったり、ちょっとした商品にしたりしていました。注文してくれたらその友達には原画を渡して、ほかの人には印刷したものをしおりにしてプレゼントしたりしていました。

——そのアイデアはどうやって思いつくのでしょう?
描いているうちに、自然に人に配りたいという気持ちが溢れてくるんです。そこからどんどんアイデアが生まれます。当時「こびとづかん」が流行っていて、最初は好きなこびとを描いてと注文を受けていましたが、そのうち、同級生をモデルにしたオリジナルのこびとを描いてプレゼントするようになって。そういう「あそび」です。猫作家をやる前の、小学校の5年生ぐらいのころです。一人で勝手に活動を始めていましたね。

——「猫作家になる」と決めたきっかけはありますか?
初めて受賞したのが、猫を題材にしたもので、それが僕にとっては初めて本格的に描いた作品でした。それまで画用紙に描いていたので、大きなパネルに描いたのも初めてで、金箔などいろいろな画材を使って描いたんですね。それが賞を取ったので軽いノリで「猫作家になろう」と(笑)。

——受賞したときのお気持ちは?
やっぱりうれしかったです。想いが形になるという成功体験ですよね。ひとつの囚われが外れたとも言えます。子ども時代は特に、それが強烈に残り心の基盤になりますよね。成功体験が一種の信念となるというか。根拠のない自信だったものが、その根拠となって「あ、いけるやん」と。

——一般的に画家になるには、画材や技法を教わるところから始めなければという先入観があると思いますが、そこに不安はありませんでしたか?
加悦 僕はどっちかというとぶっつけ本番なので、絵の描き方も思いついたら発表する絵でそれを試してしまいます。どの画材をどんなふうに使えば、それがどうなるか、「いける!」というイメージが湧くんです。とはいえ、それは小さいころからいろいろな画材を使ってきた経験あっての発想だとは思います。普通なら美術の学校に通うと思うんですが、学校の生徒たちは、学内で発表することはあっても、世間に向けて発表する機会って、なかなかありませんよね。でも、僕は小さいころから発表の場で描き続けてきた。その積み重ねが結果的に練習になっていたのかもしれません。

できないことがあるから
乗り越える楽しさがある

——多くの人が「たくさん学び、たくさん練習する」というプロセスの先にしかゴールがないと思っています。
やり方は、登山するときにいくつもルートがあるのと同じだと思います。仮に、僕の父のような神社仏閣の彩色を担う絵師であれば、そういった練習や積み重ねが必要で、僕のようなぶっつけ本番というわけにはいかない。

——ご両親に絵画の手法を教わったりしたことはありますか?
金箔の貼り方は教えてもらいましたが、最初のころだけですね。以降は、父と新たな画材を見つけては二人で実験的に描いてきました。僕の場合、もう作家ですので、人に教わって練習するぐらいなら、実際にやってみたい。せっかく思いついたアイデアの、その情熱が冷めてしまわないうちに試してみたいんです。早く形にしないと、また別のもっといいアイデアが生まれて、そっちをやりたくなるので。

——それだけ絵のことに興味があると学校生活はしんどかったのでは?
小学校のときは勉強もできていましたし、クラスの委員長をしたり、積極的に発言したりしているほうでした。それが中学校からできなくなりました。中学校の勉強があまり面白くなくて。中学を出たら高校には行かずに絵を描くと決めていたのもあって、なおさら興味が持てなかったんでしょうね。中学では授業中も絵を描いていました。

——先生からなにか言われましたか?
三者面談では「どうするんや?」「絵、がんばれよ」と言われました。僕の将来が想像もつかない様子でした。日本だからでしょうか。国によっては芸術家への支援が手厚いと聞きます。卒業すると「思い切り絵が描ける!」という解放された気持ちでいっぱいでした。毎日描いていたので、作品が廊下にずらりと並んでいきました。

それからは、たくさんの人に見てもらいたいという想いで、名前を知ってもらうためにいろいろ出展しました。最初は誰でも応募できるようなものから応募しました。当時は毎年、複数の展示会に入選または入賞して賞金をいただいていました。松山庭園美術館の猫ねこ展覧会や、にっぽん招き猫100人展などに入選して大賞をもらったり。あるとき、世界で最も有名な美術展はなにかと調べていて、フランスに2つの美術展があることがわかりました。伝統を重んじる美術展「ル・サロン展」。そして、もうひとつが僕が入賞した美術展「サロン・ドートンヌ展」です。新人の登竜門のような公募展でした。フランスの日本大使館が枠を持っていて日本人枠での募集があるんですが、当時、それを知らなかったので、フランス語ができる友人に、フランス語で応募書類を書いてもらって、絵を撮影して個人で手続きして応募しました。僕はあまりよくわかっていなかったので、ピカソなど有名どころが出展してきたすごい公募展だということは、入選してから知りました(笑)。

——10代後半って反抗期みたいなものが出てくる時期だと思うのですが。
「好きなことをやる」という方向にエネルギーが向いていたので、やりたいことも環境も全部がぴったりで、そういう気持ちはわかりません。ひたすら絵を楽しんで描いてきました。

——猫作家としてやっていけると感じた瞬間ってありますか?
僕の場合は、最初から猫作家を名乗っていたので「これだけできたら猫作家」という基準もありません。名乗り始めたときから猫作家です。当時と今とでは、絵のグレードは変わっているけれど、やっていることはまったく同じです。「どれだけ面白いことをしてやろうか」と、どこにもないようなだれもが感動するような絵を描いて感動させたい!と思っています。

——「壁」が出てきて、それを乗り越えたといったような、なにか苦労した経験はありますか?
好きなことをやっているので「壁」が挫折にはなりません。むしろ、難なくできることのほうが少ないともいえます。常にできないことがあり、それを見つけると「よっしゃ! こうしてやろう!」という新しいアイデアが出てきて、それをぶっつけ本番でできるように遊んでいるだけです。毎日が壁みたいなものだともいえるかもしれません。壁がないと面白くないので、できないことや、足りないものが見つかると、それは自分にとって喜びです。できないことがないなんて、なんのために生まれてきたのかと思ってしまいます。できないことが見つかると、「まだ、こんなに面白いことができるんだ!」とわくわくします。

感謝を持つとあふれてくる
あたたかい想いを大切に

できなくて落ち込むということは、そもそも「できる」と思っていたということ。ある意味、傲慢ですよね。だれかと比較してあきらめる人もいますが、上には上がいてどこまでいっても追いつかない。僕は、幼少期から常に創造性を持って遊んできたわけですが、小さいころに比べていろいろなアイデアも思いつくし、いろいろな面白い作品も作っている。でも、やっていることは、ずっと同じ。どんな天才も発明家も、子どもが工作しているのと、実は、まったく同じだと思うんです。

僕が困るのは、こういう生き方をしてきたので挫折や落ち込むといったことが理解できないということ。父は親との確執があったので、人のトラウマにも気づけるのですが、僕は疎いというかわからないんです。自分のなかに改善点はもちろんありますが、だからといって落ち込むとか凹むというのとは違いますね。悩んでも、より自然に生きられるように、信念とズレていないかを照らし合わせるだけです。

「好きなことをして生きていく」というのは、ただの「趣味」なんかじゃなく、人生かけて命をかけて、これだけやっていられたら死んでもいい!というレベルの「好きなこと」だと思うんです。それほどの信念を持って好きなことをやる。それは特別なことのように世間では思われているようですが、僕はそれが普通だと思うんです。自分がやりたいことをやらない生き方のほうが理解できない。僕にとって「らく」で「なちゅらる」な生き方が、猫作家という生き方なんです。

——好きなことを我慢している人にはどんな言葉をかけたいですか?
「やりたいことを我慢する」ということを選択しているということも、その人にとってある意味、好きな生き方だと思います。僕はそれにはタッチすることはできないし、その方の自由だと思います。でも、「好きなことをして生きたいんだ」と言う人が、もしもいるのなら、「大丈夫だよ」と伝えたいです。結局、やるかやらないか。勇気ひとつの問題だと思うんです。

好きなことだけをして、常に楽しく生きる。実際には日常生活のなかで、ふとしたことで不機嫌になってしまうこともあるので難しいですよね。特に、固定観念による囚われがあると難しい。でも、一日のなかで1ミリでも「楽しくない」があったら、それは自分の問題。楽しくない時間、自分がどんな状態だったのか、じっくり自己観察して解いていくだけです。逆にいうと、本来は、どんな仕事だろうと「楽しくないことだけ」の仕事なんてないはずなんです。僕は絵を描いていますが、絵以外にも楽しいことがいっぱいあります。絵が能力的に「働き」に合ったからスムーズにできていますが。勉強をしていても楽しい生き方はできますし、楽しめるかどうかは自分の問題です。
もし楽しいことがわからないのなら、形に囚われているのかもしれません。「こうじゃなきゃいけない」という自分の都合を取り払ったら、どんなことも楽しいはず。「好きなこと」「楽しいこと」が人のためにもなっているかどうか。感謝、調和を考慮しなければならない。自分の気持ちを解放したうえで、社会との関わりも大切に、すべての調和を考慮したうえでの「好きなこと」なんです。自分だけが得する、楽しいという、自分本位な損得勘定が、今の経済社会では当たり前ですが、それでは顧客の奪い合いになり、なにも手元には残らないと思います。

まず感謝の気持ちを持つことが大切ではないでしょうか。無難であることにばかり感謝してしまいがちですが、有難なときに感謝できるかどうか。「怪我したことにありがとう」と言えるかどうかだと思います。感謝の気持ちがあれば、なにかあげたい、なにか喜んでもらいたいというあたたかい気持ちになります。そういう気持ちがあふれてきたらお互いに与え合う。「あふれたもの」を与え合っているので、だれも苦しくないはずです。感謝の気持ちがないと、なにをやっても上っ面だけになり、人を感動させられません。どんな絵を描いたとしても、そこにある想いが一番大切だと思います。絵の上手下手は二番目。人との関わりやコミュニケーションに必要なのは「想い」ではないでしょうか。

今、オンラインと猫猫寺で美術館をしようと企んでいます。世界中にある遺物を猫にできないだろうかと(笑)。みなさんに楽しんでもらえるようこれからもコツコツ毎日遊んでいこうと思います。

- 特集 - 2022年4月発刊 vol.175

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