平成30年2月11日、無肥料自然栽培の先駆者である秋場和弥先生が永眠されました。
この訃報に触れ、本稿は急遽予定を変更して、秋場さんから私が学んだこと、そして後悔の念を綴ります。
農薬はおろか、肥料も一切入れないという農法を知ることになったのはもう20年近く前、初めて秋場さんとお会いしたときのことでした。
当時、まだ農産物の扱いがほとんどない弊社にサンスマイルの松浦さんと一緒に北の大地からやってきた秋場さんは、豆の流通に苦労されていることと同時に、植物にはそもそも自らを養う力が備わっていることを力説されました。
世間にはまだ無肥料による農業があることが認知されるずっと前のことで、少ない収量と、慣行農法や有機栽培に比べると高い価格ゆえの買い手の少なさに苦労されていた時期のことです。
その後もずっとおつきあいが続き、秋場さんは農繁期にはわざわざ京都まで毎年のように足を運んでいただきました。
その後、自然栽培の生産者とたくさんお会いすることになりますが、秋場さんのそれはもう別格そのものでした。
彼がこの世界のすべてを愛していること、そしてそれを口にする人に祈りを込めていることが、彼の作品から溢れ出しているのです。
同じ無肥料自然栽培といっても、否、無肥料自然栽培だからこそ、作り手の意識をダイレクトに反映しているのです。
農法に価値がある以前に、人として抑えきれない祈りが込められているからこその、秋場和弥さんが織りなす光が放たれているのです。
「僕は何もしていないんですよ。
植物が育つことをひたすらに見守る、自然の力、神様の力を信じて、じっと待つんです」。
私が秋場さんから学んだ最も大きなことが、介在者としての人のあり方でした。
私自身は農家にはなりませんでしたが、昨年から食品加工を始めることになり、1年を経ずして国際的なコンテストで入賞することができました。
そのご報告と、新たに始めようとしているヴィーガンジャンクフードのお店で、親しみやすいジャンクフードの形なのに、食べる人を笑顔に、そして健康にする食事を出したいこと。
そして、フライドポテトには秋場さんのじゃがいもを、ディップには秋場さんの豆を使いたいので送ってくださいと連絡しようと思っていた矢先に、秋場さんはこの世を去られました。
ただ、おいしいものを作ればいいんじゃない、そこにはもっと大切なことがいっぱいあるんだということを秋場さんから学び、それを私自身もやり始めた途端の、あまりに早い離別です。
秋場さんには無理をお願いしてつい先日も京都にお越しいただき、ご自身の農業感をお客様に向けてお話しいただいたところで、あまりに急な知らせに、私もまだこれはほんとうのことなのだろうかと、まだとても混乱しています。
大切なことは、「祈り」であることを、いつも言葉よりも布袋さんのような笑顔で示し続けてくださった秋場さん、私はほんとうにもっと早く連絡しなかったことを悔いています。
そして、もっといっぱいお話ししたかった。
秋場さんがいる北見に行って、北見の自慢をいっぱい聞かせて欲しかった。
どうか、安らかにお眠りください。