先月までの3ヶ月にわたり、本稿では有害電磁波、とくに加速度的に曝露量が増えている高周波の問題についてとりあげてきました。可能なかぎり簡単に説明したつもりですが、やはり「読んでもわからない」というお声もありますので、このような場合にはオンラインや対面などで毎月おこなっている電磁波ストレスマネジメント講座でわかりやすく学んでいただくことをおすすめいたします。
さて、食と生活の改善を軸とする弊社が食べ物や暮らしにまつわる雑貨類だけではなく、住環境にまであれこれと言及し始めますと「いったいどれだけ身の回りには危険性があるのか」「とてもすべてに対応することはできない」という悲鳴が聞こえてきそうです。もちろん、私が諸問題を提起するときにはそのリスクについて説明する必要があるので、聞けば聞くほど怖くなるという心境も理解できます。そのうえ、社会全体が新型の感染症で恐怖に震え右往左往している状況ですから、なおさらに考えなければならない要因はたくさんあります。しかし、私がお伝えしたいのはあれもこれもリスクですから怯えながら生きてください、ということでは決してないのです。特に、この2年間の感染症をめぐる国や行政、専門家たちの対応を見ていると誰も責任を取りたがらない、言い換えればリーダーシップが不足しているのが混迷そのものの原因となっていて、ほんとうのリスクは病気そのものではない、ということがはっきりとわかります。特に日本の場合には従前から前例主義が常態化しており、過去に例がないことには即応できず、それなりに知見と経験を積み重ねてきたとしても真摯に振り返ると責任問題にことがおよびますので、具体的な検証もされずにずるずると時間だけが過ぎるということを繰り返しています。いっぽう、私たちは誰かのせいにすることにすっかり慣れてしまい、なにか起きれば誰が悪いと責任転嫁することで、自らを守る思考や行動、スキルすら徐々に失われてきたことがますますことを複雑にしています。そこで、今一度「リスク」という言葉について考えてみましょう。
リスクは「危険」とは限らない
リスクという言葉を聞くと、多くの人が「危険」を意味する言葉と考えがちです。たしかに危険性のことをリスクと表現しますが、一方で「不確実性」という意味もあります。例えば今回のコロナウイルスに関する事柄で考えますと、生きている人全員が「リスク」を持っています。しかし、実際に検査等で症状のあるなしに関わらず陽性とされた人は本稿を書いている段階でおよそ400万人です。本誌が出回るころには500万人くらいだとして、日本の人口で割り算しますと4%程度です。この数字の印象は立場によってまったく異なりますが、私は実際に計算してみて「たった4%だったのか」という気持ちをもちました。わずか4%を回避するために100%の人が必死になり、生活が変わり、あらゆることをがまんしなければならないと自制をもとめられてきた2年間だったともいえます。このために家から一歩も出てはいけないとか、学校を閉じなければならないとか、極端な判断もくり返しおこなわれてきたわけですが、皆さんならどう考えますか? 不確実性をある程度許容するマインドがあれば、いろいろなことが違ったと想像できる方も多いのではないでしょうか。私たちは職業上、リスクのある食べ物や生活雑貨、住環境について言及はしていますが、実際にそれでどれだけ困ったことになるかは人それぞれですし、どうなるかについては実に不確実です。むしろ、食や暮らしをよりよくしようと前向きに学ぶことは全人的な健康をもたらすので知識があればあるほどよいのですが、感染を怖がって四六時中マスクを外せないとか、くり返しくり返し手も身体もあらゆるものを消毒してしまうことによって、むしろ他の健康上の問題を抱えてしまっている人がたくさんいることには危機を感じます。
この2つの差はなんでしょうか。学んだことが恐怖に結びつくとリスクを過剰に評価してしまい、行き過ぎた警戒になって常に恐怖が行動の動機となっています。いっぽう、リスクを「そういうことにも繋がるのね、じゃあ、私は違う選択をしておこう」「私はそのリスクについて知っているからむしろ安心」とプラスに解釈できると、よりよく生きるための選択ができるようになり、恐れおののいて生きることから距離を置くことができるのです。
誰もが同じリスクを抱えている状況のなかでもまったく違う生き方になってしまう差はこの認識の差だけなのです。リスクの対義語はベネフィット(利益)と解釈されていますが、リスクとベネフィットは極めて近い場所にあります。リスクを知ることで、よりよい選択ができるようになればベネフィットを得ることができ、リスクに感情的に振り回されることで別のリスクにまた晒され続ける。この悪循環から逃れる秘訣は『リスクを知ることは、よりよい選択をすること』と解釈できるかどうかにかかっています。