先日、スタッフの結婚パーティーに呼ばれ、その際に乾杯の音頭をとってほしいとのご指名をいただきました。私がセミナーなど人前で話すときには基本的になにも準備せず、その場で思いついたことを話すだけなのです。歳を重ねるうち、幼いころは赤面症でちょっと緊張すると顔がすぐ真っ赤になるので「赤ちゃん」というあだ名をつけられたのがウソのように、私の心臓に毛が生えてしまい、聴衆が何人でも緊張するという感覚がなくなっていました。さすがにこのようなおめでたい席では絶対に失敗が許されないと思い、事前にスピーチする内容を考えて、暗記することにしました。とくに、結婚の席では使ってはいけない言葉である忌み言葉があり、関西人で皮肉たっぷりに話す癖がついている私の場合、つい言ってしまいがちなため、そこには注意することにしました。
ひとしきりおめでたい祝福の原稿を書き上げ、あとは間違えないように暗記しなければなりません。忌み言葉を使わないように慎重に書いた原稿のはずなのですが、音読してある程度暗記してから改めて聞いてもらうと、スピーチの最後のほうにある「ますますの幸いがありますよう願っています」の「ますます」が忌み言葉にあたると指摘され、「より一層」がこのような席での言葉として正しいと教えられて、私の頭の中は真っ白になってしまいました。準備して、記憶してなにかを話すという習慣が失われてしまい、そのうえ乾杯の音頭なので原稿を読むわけにもいきませんから、私の脳内は大忙しです。その後、「ますますと言ってはいけない」「ますますと言ってはいけない」「ますますではない、より一層だ」とくり返し自分に言い聞かせ、何度も暗唱して式場に向かいました。開式からまもなく、私の名前が呼ばれました。私は「ますますと言ってはいけない病」の患者ですから、私のプロフィールが紹介されているあいだも「ますますと言ってはいけない」しか記憶から出てきません。ますます、ますますと考えているあいだに、もう話すタイミングです。「ただいまご紹介にあずかりました……」と話し始めたのですが、やっぱり「ますますといってはいけない」が脳の深いところにあり、スピーチ終盤、「ますますの……」と言ってしまったのです!
もう、そこからはほとんど記憶がありません。「ますますの……、より一層の幸いがありますよう」と、リカバーはしたものの、いちど口から出てしまった言葉は消えません。こんなにおめでたい、素晴らしい式だと心底思っているのに、言ってはいけないことを言ってしまったゆえの罪悪感。「かんぱ~い!」とグラスを掲げたあとの手が震えて止まりません。これは単なる私の失敗談であると同時に、人にしてほしくないことをしてもらうためには禁止すればよい、という実に簡単な秘訣なのです。
ダメ、絶対
私は年1回、人間ドックを受けています。検査そのものの是非はともかく、百人近いスタッフを路頭に迷わせるわけにはいきませんから、経営者としてのたしなみと思って真面目に取り組んでいます。私が1年でいちばん喉が渇くとき、お腹が空くときは、絶飲食が必要な検査が終わる直前です。普段は水や食べ物を摂らないタイミングでも、無性に水が飲みたくなり、食べ物を口にいれたい衝動に駆られます。ダメ、絶対、は人の欲望すらそれにシャープに焦点を当てさせる絶大な効果があります。人にあれはダメ、これはダメと言えば言うほど、そのダメなことをしてくれるでしょう。逆に、子どもに勉強しろといえば勉強することが遠くなり、忘れたらダメといったら忘れてしまうのです。こんなに簡単な方法で人をコントロールできるのですから、知っておかない手はありません。私は自由な気風の溢れる京都で生まれ育ち、制服のない高校に通っていましたから、みんな私服は地味でした。服装でのもめごとなど一度も見聞きしたことがありませんし、派手な格好をしてくる人などいませんでした。高校生活動で他県の高校生に会うと髪の毛がどう、スカートがどう、靴下どうなどと細かく規制されるので、当時から校則が人権問題になっていて、それと対峙していると聞かされました。より厳しい校則で子どもを縛れば縛るほど非行の芽が育ち、学校が荒れるという悪循環です。割れ窓理論などといって、軽微な違反を許せばますます風紀が乱れるという大人の考えは浅はかとしかいえません。あれをするな、これはダメと縛れば縛るほど、その呪縛から逃れようとものすごいエネルギーを発揮させているに過ぎません。私たち人間は実にシンプルにできあがっているのです。