「おしゃべりする時間はできる限り短く、大声は避けてください」
人とコミュニケーションをとるのに、こんなお願いごとをされる日が来るとは、感染症対策とはいえ少し前までは想像もしなかったことです。また直接会っても、マスクで顔の半分が隠れていて表情が見えづらかったりもします。
テレワークの活用が急速に拡がったのはよいことかもしれません。ただオンライン会議でもマスクをされると、声が聞き取りにくいことも。相手の周りの状況がわからず、「外して」とも言いづらく、困ることもあります。
ソレのアレ、ナニ?
コミュニケーションは言葉だけではなく、表情や口調からも成り立っています。「メラビアンの法則」といって、コミュニケーションにおける影響の受け方を調べたものがあります。
これによると、言語(言葉)による影響:7%、準言語(口調や声の大きさ・テンポなど)による影響:38%、非言語(表情や視線・身振りなど)による影響:55%の順となっています。言葉でコミュニケーションを図っているつもりが、それ以外の要素の影響が大きい。口では「ありがとう」とは言っていても、仏頂面だと本心を疑われるのもうなずけます。
身近なコミュニケーションツールで、言語はメール、準言語は電話、非言語は直接会って話すこと、と置き換えるとわかりやすいでしょう。会って話せばすぐに伝わるだろうに、メールではなかなか伝わらない経験はあるでしょう。また、外国語が堪能でなくとも海外旅行でなんとかなった経験もあるかもしれません。言語よりも表情や身振りで人に伝わることが大きいとわかります。
SNSなどの短い文章では、発信者の本心と異なる解釈をされて独り歩きし、炎上してしまうのも納得できます。言語コミュニケーションの限界といえるかもしれません。
一方で、家族や親しい人とであれば、「それ」「あれ」「なに」といった抽象的な表現で、もはや言語情報ほぼゼロということもある。それでも伝わるのは、一緒にいる空気感という非言語コミュニケーションのなせる技なのでしょう。
明日への手紙
数年ぶりに来院された患者さんのカルテを見ていて、恥ずかしい気持ちになったことがあります。治療方針はずっと変わっていないつもりでも、治療穴(ツボ)が違っていたり、診察で診ていたものが現在とは異なっていたりするのがわかるのです。余計な走り書きがあったり、筆圧やインクの濃さからその日の余裕のなさが伺えたりもします。効率化のために電子カルテを導入していたら味わうことのできない経験で、自分だけにわかる成長の記録と解釈しています。これからもカルテは手書きにして、未来の自分への手紙として残していこうと思います。
手書きの手紙が、患者さんから届いて感じたことがありました。文字情報だけでなく、筆跡や文字の大きさは準言語コミュニケーションといえそうですし、使われている便箋・封筒の紙質、そして速達で届いたことが非言語コミュニケーションとなって気持ちがより深く伝わってきたように感じました。手書きの手紙にはコミュニケーションの要素が詰まっているのですね。
年始には、宛先が「明日市」となって届く年賀状があります。毎年必ず一定の枚数があり、例外なく手書き、書き慣れているふうの筆ペンなのも共通。ただ、同じ人からではないのです。普段から書くことの多い人たちにとっては、「明日」は頻度が高く、「明」の次には「日」と、手が癖づいてしまうのかもと推測します。今年はこの人が元気で忙しくされているのかと伝わってくるので、それで楽しみにしています。来年は何通、「明日市」を書かれた年賀状が届くのか期待してしまいます。
あの……、「明石市」なんですけど……。