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特集

インタビュー取材しました。

嫌われる勇気~アドラー心理学に触れる~

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140万部を超えるミリオンセラー『嫌われる勇気』はアドラー心理学を世間に広めた書籍として知られています。
「いい人」が評価され、出る杭は打たれやすい日本。
嫌われる勇気を持つことは、昨今さらに困難に思われますが、誰もが心の底で求めているものかもしれません。
著者である岸見先生に、アドラー心理学がどういうものか伺いました。

「役に立てた」という貢献感が「勇気」につながる

――アドラー心理学は、教育が軸となっているのだそうですね。

岸見一郎先生(以下岸見)
 そうです。アドラーは、オーストリア生まれの心理学者で精神科医。欧米では、フロイトやユングに並ぶ心理学の三大巨頭の一人として知られています。
アドラーは、あらゆる悩みの根源は「対人関係」にあると捉えており、本来、その対人関係は「対等」であるものと考えています。
それゆえに、「ほめない」「叱らない」という言葉が出てくるわけです。

――『嫌われる勇気』は、ここまで売れると思われましたか?

岸見
 担当の編集者も私も、絶対に売れると確信していました。でも、上層部は売れないと思っていたようです。
出版業界の企画会議では、過去の似た企画の実績を重視します。
そういう前例に則って、本の企画をして出版したら、そこそこは売れるかもしれない。でも、ベストセラーは生まれません。売れる本、売れる商品のあるところ、背景には必ず「嫌われる勇気」があるのですね(笑)。

 「嫌われなさい」ではなく「嫌われることを恐れるな」という内容ですが、実際には、多くの人は嫌われていません。
他人が嫌うようなことはしないし言わない。そういう人は、誰から見てもいい人ですが、自分で考えられない人。人生の主人公ではなく脇役なのです。「脇役じゃなく、あなたが主人公なんだ」と学んでほしい。
そのためには人から嫌われることや、誰から見ても善しとされているわけではないことを、時にはしなければいけない。その勇気を持ってほしいです。

「ほめる」という行為によって親は子どもをコントロールする

――「ほめない」は難しいですね。母親になると、うっかりほめてしまいます。

岸見
 それは「うっかり」ではなく確信犯。言葉尻の問題ではなく対人関係の構えです。
それが親の姿と思い込んでいる可能性があります。
もし、それを習慣と考えるのなら、ご自身もほめられて育ってきた可能性がありますよね。

――そうです。「いい子になって、お母さんに好かれたくないの?」と。

岸見
 「別に~好かれたくない」って言えたらよかったですね(笑)。
大人は子どもを子分や家来にしたいのです。自分の支配下、つまりコントロール下に置けるでしょう。そして、親の家来になりたい子どもが親にほめてもらいたがる。
そうやって縦の関係を築いてしまっているのです。

 縦関係のなかでしか口にされないのが、ほめ言葉なのです。
対等の関係が築けていたら、誰に対しても、どういう状況でも、ほめることはできない。
「かわいいね」などは、ほめ言葉としてボーダーラインですが危険です。

 ほめられて育った子は、親から見るとかわいい。
親がアドラー心理学を学び、子どもと対等に関わると、子ども側にも「親と対等である」という意識が生まれ、世間的に見たら生意気な子どもになる。
でも、それは反抗的な子どもではなくて、主張的な子どもなのです。

 厳しいことを言うと、親に従順に生きてきた子も、「親に従う」と決心した責任は免れません。ただし、小さいときのことだから無意識でしょう。
「私は親に従って生きてきた。親の意向と期待を満たすために生きてきた」と気づけたら、これから先の人生をどう生きるかは、本人に責任が生じます。
自分で決めて生きるしかない。

――気づいたときから進むと。それで間に合うんですよね?

岸見
 間に合います。遅すぎることはありません。
アドラー心理学の特徴のひとつは「原因論」ではなく「目的論」であること。
原因論は楽です。責任を他者に転嫁できますからね。親のせいにできる。
そうではなく「どうなりたいか」という目的を目指して、人はいつからでも変われるという考えです。
アドラー心理学は「人を変える心理学」ではない。「自分を変える心理学」なんです。

「勇気」は与えるものではない

――「勇気づけ」の感覚ががわかりにくいので教えてください。
例えば、小さな子どもを連れてデパートなどに行くと、泣いたり叫んだりして、「静かにしなさい」と連れ帰ることもありますよね。
でも、静かにできる日もある。その場合、「偉いね」とほめるのではなく、「一日、私につき合ってくれてありがとう」と言い換えるんですよね?

岸見
 そうです。ただ、なぜそういうことを言うのかを認識する必要があります。
「こう言っておけば、次回も、静かに買い物につきあってくれるだろう」と期待を込めると、それは、ほめ言葉になる。
次は、どうなるかわからない、でも今日一日、静かにしてくれたことに対して「すごく助かったよ」と伝える。このことは、子どもに貢献感を持たせます。

 コツは、わが子を「子ども」と思わずに大人と同じ「人」だと思うこと。
「この子が、私の大切なお友達だったらどうするか」と考えてみることです。

 「役に立てた」という貢献感を持てたときに、子どもは「自分には価値がある」と思える。自分に価値があると思えると、勇気が出る。
これをアドラー心理学では「勇気づけ」といいますが、「勇気を与える」という意味ではありません。
アドラー心理学が示す「勇気づけ」という言葉が広まるにつれて誤解する人も増えています。

 子どもが、自分に価値があると思える援助をする、自分が取り組むべき課題から逃げずに、そこに向かう気持ちを持てるよう援助をする。
そういう面倒くさいことを全部抜きにして「『ありがとう』と言えば、いいことをしてくれる」という誤解が生まれているようです。

勇気を持たなければ幸せにはなれない
課題の分離

――対人関係のトラブルでは、相手に「○○してほしい」「○○すべき」という伝え方をしてしまいがちですよね。

岸見
 アドラー心理学では「課題」という言い方をしますが、例えば「勉強」は子どもの課題です。子どもに任せるしかない。親は「勉強しなさい」とは言えません。
このように課題の責任を明らかにすることを「課題の分離」といいます。

 対人関係のあらゆるトラブルは、課題の分離ができていなくて、土足でそこに踏み込むこと、踏み込まれることから起こります。
「私が言わなかったら勉強しない」「困ります」という人がいますが、困るのは子どもであり、親ではありません。
親といえども子どもの人生を決める権利はありません。
不登校の子どももそうです。学校に行くか行かないかは、親の課題ではありません。相談に来られる方もいますが、ここでは解決できないのです。親やカウンセラーが、子どもに学校に行く勇気を与えるわけではありません。子どもが自分の判断で、自分の力で、これからどう人生を歩んでいくかを考えるための「呼び水」のような役割を果たしているだけです。
親子関係においては明確に「課題の分離」ができます。

 自分の課題は自分がやり遂げることで自己完結的に自己満足できないといけない。
誰かにそのことを追加支援してもらえなくても、自分が何かを達成したときに「やり遂げた」という思いを持てる子どもになってほしいのですね。
承認欲求という言い方をするのですが、ほめてくれる人がいないと満足できないというのはちょっと危ないと、僕は思います。

 対人関係に入っていくには勇気が要ります。なぜなら、人と関わると必ず摩擦が起こるからです。
家で一人でこもっていたら摩擦は起こらない。親しかいないから喧嘩にもなりようがない。外に出たら、人から嫌われる、裏切られる、憎まれる、傷つけられる。ということを避けるために、子どもたちは学校に行かない、働かないと決心を固めてしまう。

 アドラーは、人間のあらゆる悩みは対人関係だと言っていますが、幸福や生きる喜びも、また、対人関係のなかでしか得ることはできない。それを子どもたちは知らないのです。
だから、辛いことや嫌なこともあるかもしれないけど、「一人では幸せになれないんだ」ということを学んでほしい。
ただ、対人関係に入っていくのはリスクがあります。だから勇気が要るのです。つまり、勇気を持たないと幸せになれない。その勇気が持てるよう援助をするのが、唯一、大人にできることなのです。

 親が子どもにできることなど、あまりないのだと気づくことが大切です。
親は、子どもに何かをすると、ちゃんと親の仕事をしているような気持ちになれます。

子どもが何をしているかは、知っておかなければダメです。知らないのは無責任なので。ちゃんと知ったうえで、敢えて手出し口出しをしない。

 「課題の分離」は最終の目標ではありません。
最終的には協力して生きていくと。協力して生きていくために、まずは最初に、これは私の課題、これはあなたの課題というふうに、もつれた糸をほぐすような作業をする必要がある。

 そのうえで、「これはあなたの課題です。でも、私とあなたの『共同の課題』にすることもできると思いますが、どうしますか?」という話を、絶えずしていかなければいけません。

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上司と部下の場合は課題は共同責任となる

――「上司が部下を叱ってはいけない」とも書かれています。
指示を出した上司にも責任はある。同じ目的に向かって、共同の課題とする必要がある……

岸見
 上司と部下の関係の場合は「課題の分離」ができません。
失敗することの責任は上司にあるといっても過言ではないので。

――相手(部下)を信頼して「共同の課題」だと認識することができれば、協力関係が築けると。では、関係が築きにくい場合、上司が部下を信じていない可能性があると考えられますか?

岸見
 そうですね。雑誌の編集長からよく聞くのですが、新人が書いた原稿を、ご自身が書き直すことがあるそうです。どんなに時間がかかっても拙くても、本人が書くよう指導することが必要だと思いますが、信頼感がないから任せられない。
でも、できなくても最初は「ありがとう」からなのです。
経験が無いので、できなくても当たり前。部下が出社してきたことに対して「ありがとう」から始める。休まれて穴が開いたら、上司や同僚が補わなければいけないわけですから。「とにかく来てくれたら助かった」というところしか始めるしかない。
「この会社という組織、共同体の中に居場所がある」と感じられたら、自分に価値があると思える。会社へ来ただけでも貢献したと思える。
そうして、自分に価値があると思えたら、仕事という課題に取り組む勇気も持てます。まずはそこから始めることです。

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岸見 一郎(きしみ いちろう)

1956年京都府生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。京都聖カタリナ高校看護専攻科非常勤講師。

著書に『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(古賀史健と共著、ダイヤモンド社)、『人生を変える勇気』(中央公論新社)『アドラー心理学入門』『よく生きるために働くということ』(KKベストセラーズ)、『老いた親を愛せますか?』(幻冬舎)。
訳書にアドラー『個人心理学講義』(アルテ)、プラトン『ティマイオス/クリティアス』(白澤社)など多数。
わが子の子育て中にアドラーを知り翻訳を始める。講演、質疑応答の会などに精力的に活動している。

取材を終えて

 アドラー心理学は「脇役に甘んじるな、主役であれ。主役であるために、自分の言動に責任を持ち、周囲の反応はどうあれ『自分の人生』を選択する勇気を持とう」という、一人ひとりを尊重する心理学ではないだろうか。

 評価されて育った私たちは、承認欲求に振り回され、ほめてもらえないと、存在価値を見失い、逆に、自分をあきらめると、他人を低評価することで自分を保とうとしてしまうのだろう。

 あまりにも共感することの多いアドラー心理学。特に、毒になる親に育てられた人こそ必要な考えかもしれない。
「ほめる」については、ボーダーな言葉も多く、女性の傾向として男性にほめられたい気持ちもあるので、そのあたりについても、学びを続けたい。

 アドラー心理学を冷たいという人もいるが、むしろ逆ではないか。これからを大切にする「目的論」を掲げ、取り消せない過去にフォーカスする「原因論」で語られる理由を「人生の言い訳」と言い放ったのは愛があってこそ。
その愛情の深ささえも、岸見先生が引き継がれているような気がしてならない。

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編集室Roots 代表
藤嶋ひじり(ふじしま ひじり)

『らくなちゅらる通信』編集担当。編集者ときどき保育士。たまにカウンセラー。日経BP社、小学館、学研、NHK出版などの取材・執筆。インタビューは1,500人以上。元シングルマザーで三姉妹の母。歌と踊りが好き。合氣道初段。

- 特集 - 2016年10月発刊 Vol.109

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