「知ること」は目的ではない
野村隆哉研究所 野村隆哉先生インタビュー 前編

びんちょうたんコムでは「オータンの木のおもちゃ」でおなじみの野村隆哉先生。弊誌では「子どもと情緒」「生物経済学事始」などの連載コラムも執筆していただきました。森林資源調査や樹幹廃材有効利用プロジェクト指導で国内外を飛び回る一方、あたたかい子どもの木のおもちゃを造る野村隆哉先生にお話をうかがいました。

1939 年生まれ。京都大学農学部林学科卒業、京都大学木質科学研究所退官後 株式会社野村隆哉研究所、アトリエ・オータン設立。専門分野は木材物理学、 木文学。木工作家。木のオモチャ作りは70 年頃から。朝日現代クラフト、旭川 美術館招待作家。グッドデザイン選定、京都府新伝統産業認定。楽器用材研究会主宰。 著作として『木のおもちゃ考』『木のひみつ』ほか。

 

 

 

 

 

 

「深める」ということはまず手を動かすことから

野村 生まれたわが子に、与えたいと思えるおもちゃがなかったので自分で作り始めた。それがオータン工房の原点です。僕は大学の人間であり、あくまでも研究が主体。おもちゃ作家たちとは原点が違うので、煙たがられているようです。しかし、昨年、あるおもちゃ工房の方が突然、訪ねてきました。

アイデア豊富な野村先生のさまざまな材木が楽しい作品に生まれ変わる

30年前に僕の個展を見て脱サラしておもちゃづくりを始め、今や年商一億四千万円だそうです。
「先生の作品は絶対に超えられない」「野村先生は木工芸のクラフトの世界ではバイブルになっています」と聞き驚きました。
ありがたいことに才能を天から授かったのか、たまたま親から受け継いだのかわかりませんが、それも磨いてこそ。
今月号のテーマ「深める」は、手を動かすことから、すべてに繋がっていくもの。まずは“手を動かす”ことからです。

―頭で考えているだけでは深めることはできませんよね?

野村 ダメです。みんな知識だけ膨大にある。それと利便性の追求。便利になると、一人ひとりの知恵がなくなる。先日、テレビで爪切りで怪我をしないために開発された「サンダー(やすり)式の爪切り」のCMを見ました。今朝見たCMは、野菜を自動的にカットしてくれる調理器具。

そうなってくると、人間は手を使って切らなくなっていきます。確かに、毎日料理するのは大変でしょう。僕も、この研究所での滞在中は一人で家事をするので、もちろん包丁も使います。すると包丁を研ぐということをしなければいけない。

それも家庭で伝承されてきたことのはず。そうやって本来、親から子へ伝えるべきことがどんどんなくなると、子どもが親になったとき、わが子に伝えられるものがなくなってしまいます。人から人への伝承がなにもなくなり、「手段」ばかりが肥大化している。

びんちょうたんコムでも販売している「ポチ(左)」は、娘さんが小学4年生のときに作った作品(右)がモデル(商品は在庫限り)

「手段」が「目的」になってしまうことは大変なことです。 そもそもオータン工房は地域の産業を育てるためのもの。京都大学農学部林学科の演習林の近くにある過疎化した集落をサポートする意味合いもあって工房を作りました。

僕が集めてきた材料やデザインをすべて渡してスタートしましたが、僕自身は、これで商売することは考えたことがありませんでした。残念ながら10数年前、オータン工房を閉じることになりました。田舎の人たちは、山で木を切ったり、田んぼを耕したり、山菜を取ったり、つつましく生活しているのが基本。

商売に関する知識は根づいていません。僕は、オータン工房を広めるために日本中で10年間で140回以上個展をしました。ところが追加注文を受けても、なかなか届けられない。リピートオーダーに対応できなかったのです。

 

産業が先回りして親に与え 親が先回りして子に与える時代

野村 もう一つは受け手。僕の造るものは、おもちゃでもない、クラフトでもない、アートでもない……と。

―不思議とジャンル分けしますよね。

研究所の庭には、秋桜、水仙、都忘れ、小紫、こごみ、菊芋、秋海棠、秋明菊、紫陽花、インパチェンス、ベゴニア、プチトマト、きゅうり、かぼちゃ、赤しそ、茗荷など、さまざまな花や野菜が育つ

野村 僕は、すべて同じものだと思っていますが、世の中は峻別します。
子どもはどうとでも遊べるのに、親が先に選択してしまう。産業によって次から次へと「手段」が準備されているから。
だれにでも「こうしよう」と内面から生まれてくるものがあるはずなのに、それを先取りしてトラップ(罠)にかける。
前出の爪切りと同じです。怪我をすることを全否定してしまうと、爪やすりなんてことになってしまう。

―最近、怪我や失敗を避けたがる人が多くなった気がします。

野村 そうです。「失敗は成功の元」という諺がありますよね。
手を切ってしまうのなら、切らないようにすればいい。
そんなごく基本の考え方がなくなってきている。保育でもそう。

保育なんて本当はそんな学科なんて必要ない。
思いやりや優しさっていうものは、授業で教えてもらうものではないはずです。

子どもを育てている方ならわかると思いますが大事なのは「ぬくもり」です。
僕のおもちゃづくりは、ありがたいことに親父が僕に伝えてくれたことなのです。

親父は、当時にしてはめずらしい映像カメラマンでした。
テレビが始まったころ、NHKで「日本の素顔」という人気番組を撮っていたのです。

夏休みの宿題を僕より夢中になって作ったり、リュックサックを作って犬のアップリケを縫いつけてくれたりしました。
みんな既成のリュックサックで、僕だけ手製の犬のアップリケのリュックサックで恥ずかしかった。
だから、周囲に左右されてしまう気持ちもわからなくはありません。

父は、切り紙で作ったトンボや蝶々、機関車、街などを押入れの壁に貼りつけてくれていたので、布団を全部放り出して狭い空間のなかで少しだけ襖を開けて、木漏れ日のような灯りのなかで楽しむのです。
親から子へというのはそういう伝承なのだと思います。母はというと、食べ物に関して、一切、大人と子どもの分け隔てをしなかった。
小さいときから辛い唐辛子を炭火で焼いて食べさせられたものです。

 

―大人の味を子どもに食べさせるということですか?

野村 そう。一切甘やかさない(笑)。現代のように魚の骨や皮を嫌がるから取ってあげる……なんてことはない。産業が親の思いを先取りして準備し、影響された親が容易にそれを子に買い与える。そんな日本の状況をなんとか変えたいのです。

 

世界中が物質文明に席巻され後進国は特にアンバランス

野村 昨年まで海外で仕事をしていましたが、今、世界中が画一化してきています。
マレーシア、インドネシア、ラオスなどに生えるオイルパームは食用油や石鹸になります。

実ができなくなると伐られ、再植しますが、伐り倒した太い幹はパーム園内に放置したままです。
マレーシア政府の依頼で行った当時、年間4500万トンが捨てられ腐っていくばかり。
それを有効利用するためのプロジェクトでした。

後進国では生活水準は低いのに、入ってくるものは最先端。
20年前、初めてラオスに行ったとき、ターケークは周囲に何もない街で、ラオス松という大きな木がていていとそびえていた。
それを日本がどんどん伐り出していて、郊外には製材所や貯木場がたくさんあったものです。

それが約5年前に行くとなくなっていて、郊外にはネオンサインの店ができている。
売春宿とカラオケ屋です。
そこで体を売っている若い女の子たちは、みんなスマホを持っていた。
恐ろしく様変わりしていました。

20年前には電気もなく、村長の家にしかテレビがなかったのに。
インドネシアやマレーシアも同じような状況です。

非常にバランスが悪い。
見てる間に物質文明に侵害されていき止めようがない。
なんとしても彼女達に売春させたくないと思いました。

オイルパームを有効利用する産業を考えれば、最低でも百万人の雇用が生まれるはずなのです。
ところが、ちゃんと形にして見せたのに実行されない。

商業化のためには大きな設備もいるし商品を規格化しなければいけないので、プロジェクトをしっかり組み直さなければならない。
MPOB(マレーシア・パームオイル・ボード)の長官に「成功したのはうれしいが商業化はマレーシアではやる気はないのだ」と言われました。
しかるべき商業化をしてくれる企業を探してくれと。参りました。

彼らは油で儲かっているので深刻に捉えていない。
環境破壊や、ボルネオ象やオラウータン、蝶々などが絶滅してしまうことなど関係ないわけです。

―環境と産業はつながっているのに。

野村 そうです。でも、そんなことにはほとんどの人が気づいていない。

―自分に被害が及ばないとわからない?

野村 そういうこと。
自分が凄まじい目に遭って初めてわかる。
とはいえ凄まじい目に遭うのは一般大衆で、政治を司る者ではない。

そして、一般大衆も「いつか自分がひどい目に遭って犠牲になるかもしれない」という先見の明がない。
とにかく車や電化製品が欲しい。

そういった後進国の状況を改善すべく、マハティール首相に依頼された。
ところが成功した時点で、アブドラ首相に代わってしまったのです。

あのときマハティール首相が商業化してくれていたらと非常に残念でなりません。
(後編へ続く)

それぞれの木材の特性を活かしてつくられた木のおもちゃ

親から子へ、子から孫へ…何代も伝え続けてほしい、やさしいぬくもりに満ちた木のおもちゃです。


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