「~その後、二人は本能のまま、むさぼり合うように~」なんて、官能小説のなかに出てきそうなフレーズですが、実を言うと、人間の性行動は、生まれつき備わっている「本能」ではないということをご存じでしょうか?
しかも、それが間違いであることは、ずいぶん昔に明らかになっているそうです。オオカミ少年でよく知られる「野生児」を長年研究してきた専門家によると、彼らは食料には非常に強い執着が見られるのに対し、性欲に関しては、五十数名の野生児のうちその全員が思春期の二次成長期を迎えても、まったく性行動を起こすことがなかったそうです(参照:野生児 その神話と真実 L・マルソン著/福村出版)。育ての親が食べものを採る姿を見せ、与えることで、真似して食べることを学習していくのと同じく、「性行動」もそれを学習する機会がなければ自然とできるようにはならないのです。
セックスの学習教材
つまり、性行動ができる大人たちは全員、何らかの方法でそれを学習した経験があるということ。その学習のほとんどがアダルト動画なわけです。仮にそれをじっくりと観たことのない人であっても、パートナーが動画で学習したことを実践に持ち込んでいるわけですから、その後の夫婦生活に影響を与えるのは避けられません。
その「教材」となっているアダルト動画は、当然ながら演技によるパフォーマンスであり、描かれるストーリーや構成などは、視覚・聴覚的に、より刺激的になるよう、激しく演出されているものが多いです(そうでないと映えないので)。しかも、その動画商品のターゲットはほとんどが男性ですので、「射精がゴール」とされた男性目線の脚本が基本となっており、それらを感受性の高い年齢のころから、何度も何度も学習してきました。その他から学ぶ機会はゼロなわけですから、あとは実践で、目の前のバートナーとのコミュニケーションのなかから探りつつ、失敗や成功体験を積み重ねながら性行動を学習し直していくしかないのです。
アダルト動画を否定しているわけではありません。しかし、安直に「あれがセックスというものだ」と思い込んでしまっていることは、男女問わず、人生がもったいない気がします。またその思い込みは、後の性的思考の不一致・セックスレスなど、パートナーシップ間におけるトラブルの原因になりかねませんから。
人間ならではの性行動
日本には「セックス」という言葉が流行り出す前から「目合ひ」(まぐわい)という言葉がありました。聞くと古めかしい言葉ではありますが、漢字をみると「目」を「合」わせると書くなんて、とても素敵だと感じませんか。
わたしたち人間も動物の一種に他なりませんが、その動物たちと最も異なるところは、脳の発達。脳が発達していることで「言語」という道具を操り細やかなコミュニケーションを取ることができます。では、なぜわたしたちの祖先は、その言語を発明したのか。考えたことがありますか? 決して、嘘をつき人を傷つけ騙すためではなく、自分の気持ちを「伝えたい」、あなたの気持ちを「わかりたい」という欲求が強かったからではないかと思うのです。他のどの種よりも共感力が強く、愛情深い動物が、わたしたち人間なのです。
「目は口ほどにものを言う」といいますが、それ以上かもしれません。愛情表現の手段である「言葉」をどんなに巧みに使ってもなお足らない想いを、目を見つめ合うことで伝え合ってみてはいかがでしょう。二人で「ひとつ」を感じ合うクリエイティビティこそが、人間ならではの性行動といえるのではないでしょうか。