健康維持増進のために食事を活用することは、比較的容易にできますが、疾患の克服を目指す場合は、徹底的に(食)生活の見直しをおこなう必要があります。私が出逢った重篤な疾患を克服した人たちは皆、抜本的にライフスタイル、とくに食生活を変えたという共通点があります。
先月号で、ハワイの友人が食事でがんと、心臓病、糖尿病、高脂血症を治療した実例をお話しました。今回はがんで余命宣告され、寛解と再発を繰り返し、食事内容がダイレクトに身体に影響を及ぼすことをご自身の体で体験された、八坂正博氏の症例を紹介します。滋賀県で会社を営まれていた八坂氏は49歳のときに体の異変に気づき、地元の病院を受診、その後に大学病院を紹介され、左肺門部原発胸腺転移のある肺がんで余命6か月、治療すれば1年半と宣告されます。
甲田療法を併用
大学病院への入院待ちの間に、大阪府八尾市の甲田医院で甲田療法を学び、入院までの10日間、生の玄米を粉に挽いたもの、青泥(緑の葉野菜を5種類以上ブレンダーで混ぜたもの。これは緑の葉のスムージー、もしくはフレッシュな青汁といえます)、人参、大根、山芋のすりおろしといった甲田療法のみの食事を実践しました。これはPBWF(プラントベースホールフード:植物性の食材をなるべく精製加工することなく食べる)かつ、ローフード(生食)の食事を実践されたということになります。
入院した大学病院では食事の重要性がなかなか理解してもらえず、甲田療法は実践しづらい環境でした。さらに6ヶ月の余命宣告を受けているのに、検査ばかりで治療がされません。入院後1ヶ月ほど経った頃、しびれを切らし、「治療してもらえないなら退院する」と言うと、ようやく放射線と抗がん剤の治療が始まりました。治療が休みになる週末には自宅に戻って甲田療法を実践し、病院に戻る際には病室で食べやすい大根・人参を持ち込みました。退院後も点滴による抗がん剤治療のための通院を指示されましたが、副作用が苦しく、予定通りに治療は進みませんでした。内服の抗がん剤も副作用が酷いので、勝手に中止しました。
6ヶ月の余命宣告から3年
退院後は厳密な甲田療法を実践し、余命宣告から3年が経過しました。しかし、その頃から食生活が乱れがちとなりました。野菜は食べていましたが玄米生食はやめ、時々魚や肉を食べ、少し飲酒もしていました。そんな生活をして3ヶ月ほど経った頃、首の右側が約5cm径でボコボコしていることに気づきます。すぐに病院を受診すると、頸部のほかに胸壁にも、食パン大にがんが広がっていると告げられました。がんの再発です。放射線療法が検討されましたが、すぐに断念されました。放射線療法は許容量上限まで受けてしまっていたので、副作用が心配だったそうです。
思うように治療を受けることができない状態でしたが、受診した大学病院にはパイパーサーミアの装置がありました。がん細胞は高温で死滅しやすく、がん細胞を排除する免疫は高温で働きやすいことを利用した装置で、おもに代替医療や統合医療で用いられる、有効で安全な方法です。装置は当時、病院で眠っている状態でしたが、扱うことができる医師が病院に戻ることになり、抗がん剤と並行し、6ヶ月間治療を受けることができました。西洋医療の病院で、この治療を受けられたことは、幸運なことだったといえます。
がんの再発をいかに克服したのか。宣告から21年が経つ現在も、お元気に過ごされていることを可能とした食生活を次号でご紹介させていただきます。PBWFで病気を治療できることがわかるストーリーとなっていますので、ぜひお読みいただければと思います。