本誌に連載を始めて1年が経った。それと同時に私の教員生活も3年目を迎えようとしている。かつやま子どもの村小中学校の「大人」としても、社会人としても未熟な自分が、月に一度、母校について文章を書くというのは大きな決断だった。教材準備や子どもの対応に追われるなか、テーマを探し、原稿執筆に追われる1年。しかしそのおかげで、コラムの題材を意識しながら子どもたちと関わることができ、普段なら見逃しがちな子どもたちの成長や、子どもの村のいいところがたくさん見えるようになった。
はじめての場所、はじめての体験に怯えて、挑戦や探検をするのが苦手だった私が、自分の興味に向かって進んでいけるようになったのは、まぎれもなく母校・子どもの村の教育のおかげだった。私の中学生時代に発行された、かつやま子どもの村中学校創立10周年記念誌『自由な学校のすてきな子どもたち』を改めて読み返してみて、自分の文章を見つけたのだ。
「公立の学校にいたころは遊んで楽しかっただけで、充実していたとはいえないと思う。(中略)委員ざんまいで忙しいのは、私にとってすごく楽しいから、これからも充実した日々を送っていきたいと思う。こんなにいろんなことに興味がわいて調べたりするようになったのも、毎日を充実して過ごせるのも、この学校のおかげだと思う」
遊びから学ぶ子どもたち
今年は世界的な大寒波で、学校がある福井県も大雪に見舞われた。私が住んでいる集合住宅の駐車場には融雪装置がついており、ある程度の雪では日常生活に支障はない。しかし、今回の雪は思ったよりもやっかいで、たった一晩のうちに駐車場の前の道路には胸の高さほどの雪が積もっていた。車で家を出ることができず、雪道を歩いて買い出しに行くと、スーパーマーケットでは生鮮品の棚がすっからかんになっていた。そんな状況がしばらく続き、かつやま子どもの村では冬休みに引き続き、1週間の休校になった。
その1週間の休校が明けて子どもたちが登校してくると、念願の雪あそびが始まった。一連の豪雪で危険なため、最初のうちは大人が一緒にグラウンドに出て、遊ぶようにしていた。教室から外に出られるベランダにも大人の身長を超える雪の壁ができていた。
まずそこから出られるようにするための階段づくりを始めた。すると、いつの間にやら、あちらこちらにすべり台ができていた。それからしばらくすると、氷のように硬い雪の壁に子どもが通り抜けられるサイズの穴ができていた。気がつくと穴の数が増え、すべり台も増え、さらに大人が通り抜けられるサイズの穴や、ふたつの穴をつなぐ穴までできていた。ベランダは段差が大きく、幅の広い大きな階段のようになっているため、その段差を利用して、さながらアリの巣のような雪のアスレチックができあがったのだ。
大人からは、「ベランダからグラウンドに出られるように、雪の階段があるといいよね」と最初に声をかけただけである。数日たつと、グラウンドにはいくつものかまくらができあがった。また、グラウンドの真ん中に除雪作業で集められてできた雪の丘があるのだが、その丘は子どもたちが行列するほど人気の大型すべり台になっている。
大人にとっては大変な大雪でも、子どもたちにとっては最高の遊び場になる。子どもたちの遊びを創造する力については、学園長からもよく話を聞いていたが、実際にこの大雪を通して実感した。スコップなどの道具が少ないなかで、雪のアスレチックを作ったときには、子どもたちは自然とゆずりあって道具を使っていた。遊び方を考え、遊びを通して人との関わり方を学ぶ。子どもたちにとって、遊びは最高の学びの場であることを、大人は忘れてはいけないと思う。