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自由教育ありのまま

「日本でいちばん楽しい学校」で新任教師がみた子どもたち

学校法人きのくに子どもの村学園かつやま子どもの村小中学校教員

中川 愛 (なかがわ あい)

かつやま子どもの村小中学校、きのくに国際高等専修学校を経て、立命館大学文学部卒業。高校生時代に東ティモールという国と出会い、残酷な歴史を背負いながらも、笑顔が絶えない東ティモールが大好きになる。「東ティモールのことを少しでも多くの人に伝える」ことを目標に、2019年度4月から、母校であるかつやま子どもの村で教員として働いている。父は、プレマ株式会社代表取締役の中川信男。

子どもの村と私

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2年続いたこの連載も今回で最後になる。小学生、中学生、高校生、大人として過ごしてきたきのくに子どもの村学園から4度目の卒業をするからだ。この3年間、まわりの大人たちからはもちろん、子どもたちからもたくさん学ばせてもらった。そして自分自身が受けてきた教育についてさらに深く知り、考えるいい機会になった。本当に充実した3年間だった。子どもとして9年、大人として3年、合わせて12年間もきのくに子どもの村学園で過ごせたことを心から嬉しく思う。

私は小学3年生まで公立の学校で育った。そのころの私のあだ名は「忘れ物クイーン」だった。宿題が嫌いでまったく手をつけていなかったり、忘れ物も多かったりで、担任の先生にそう呼ばれるようになった。そのころは「クイーン」の称号に少し誇らしい気持ちもあったのだが、宿題もせず、テストで0点を取っていた私は、まちがいなく「問題児」だった。

クラスの問題児だった私は父の勧めでかつやま子どもの村小学校に転入した。かつやまの大人はそんな私をたくさん褒めてくれた。「作業が丁寧だね」、「働き者だね」など、できないところではなく、できるところを認めてくれる大人と出会った。宿題ができなくて毎日怒られていた私は、宿題のない学校で毎日褒められるようになった。それまで自信のなかった私もたくさん褒めてもらい、はじめての経験をたくさんして、少しずつ自信をつけていった。小学4年生で寮生活をし、さらにはイギリスに約1か月滞在して、親元を離れた生活も経験した。5・6年生のときはものづくりのクラスですべり台や忍者屋敷など大きな建物を建てて挑戦する喜びを知った。中学校では演劇のクラスに入り、人前に立つ自信をつけた。複数の委員会をかけもちし、イベントの企画や運営をおこない、大きな達成感を知った。高校生になって日本国内や世界の社会問題などを学び、身の回りの「当たり前」に疑問を持つようになった。「教科」の枠を越えた学びは、今でも自分の人生を豊かに彩ってくれている。それまでの生活とは比べ物にならないほど毎日が充実していた。子どもの村での学びは一貫して私自身が主役だった。

子どものような大人

ここでの学びを通して私にはたくさんの挑戦したい目標ができた。大学卒業と同時にそのひとつである「かつやまの大人になる」という道を選択した。子どもたちと一緒にたくさん笑って、学んで、考える、忙しい3年間を過ごした。小学生からお世話になっている大人もたくさんいるなかで、子どものころと同じ気持ちで働かせてもらった。大好きなこの場所から離れる選択をしたのは、子どもの村の「大人」としてではなく、卒業生として自分の人生を生きたいと思ったからだ。興味に向かってどんどん突き進んでいく子たちを見て、どんなことにもわくわくしていた子どものころの自分を思い出した。私も子どもの村での学びを通して見つけたたくさんの挑戦を実現したいと思った。子どもの村の卒業生はいい意味で変わっている人が多い。それはまわりに流されずに、自分の興味に従って生きる、子どものような人が多いからだろう。大切な「自分の場所」から再び卒業してしまうのは寂しいし、子どもたちと離れたくない気持ちもある。それでも子どもの村の卒業生として、まだまだたくさん学び、新しい道に進み、違う形で大好きな母校を支えていける人間になりたい。

4月からはプレマ株式会社に入社し、設備は整っているがオープンしていなかったチョコレート店を任せてもらう予定だ。公立学校で問題児の生活を続けていたら、このような道は選ばなかっただろう。私にとって子どもの村は「ただいま」と帰れる場所であり、可能性を広げてくれる大切な存在だ。

- 自由教育ありのまま - 2022年3月発刊 vol.174

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