きのくに子どもの村通信より
教育学の論点(5)
学校法人きのくに子どもの村学園 〒911-0003 福井県勝山市北谷町河合5-3 |
きのくにが開校した1992年のある日、森ひろし君(6年生)とのやりとり。
「どう?森くん。きのくにへ来てよかったかい。」
「もちろん。……でも、お勉強がなかっら、もっといいんだけど。」
「お勉強って?」
「きそがくしゅう。」
「あのね、森くん。きのくにでは、プロジェクトがいちばん大事な勉強なんだよ。」
「えっ、プロジェクトが勉強なの?ほんとう?ふーん堀さんて、頭いい!」
頭いいでしよ、森くん。体験中心の学習は、楽しくて本物の力のつく学習なんだよ。
■カリキュラムのタイプ
学習内容の編成にはいくつかのタイプがある。図で説明しよう。
教科書型カリキュラム
いちばん普通の古い考え方だ。教科書が、互いに関係なく並立する。その中のいくつかが主要教科と呼ばれる。
相関カリキュラム
いくつかの科目を関連付けて学習する。たとえば「扇状地」について、社会と理科で同時期にうまく結び付けて学ぶ。
合科カリキュラム
二、三の科目を統合して新しい科目をつくる。小学一、二年の理科と社会を合体させて
生まれた生活科がその代表例だ。
広領域カリキュラム
多くの科目を少数の広い学習内容に編成し直す。例えば「ことば」「かず」「表現」「運動」など。
コア・カリキュラム
ある科目(社会科など)を中心(コア、核)にすえ、その他の学習をそれに関連づけておこなう。
経験型カリキュラム
これぞ、きのくに流のいちばん大胆、かつ先進的な考え方だ。中心に何か特別の実際的な仕事(例えば道づくり)をすえ、それに集中するうちにさまざまな領域の学習が生まれてくる。つまり徹底した総合学習だ。
■教科型の欠点
教科型カリキュラムは、系統カリキュラムとも呼ばれ、学問の体系を教科書に編成しなおしてつくられる。教科書中心主義や学問中心主義の考え方だ。その短所は次のとおりである。
◇子ども一人一人を考慮しない。個人差に対応しにくい。
それに合わない子どもは取り残され、自己否定感が増幅する。
◇子どもの生活の現実から遊離し、知識が自己目的化される。 何のために学ぶかが軽視され対象に興味を持ちにくい。
◇学界や産業界の要求に押され、中身が膨張したり偏ったりする。だから無駄と無理が多い。
◇せっかくのゆたかな学習が、科目と学年によって不自然にコマ切れにされてしまう。
◇知識の伝達(または記憶)が重視され、自発的かつ科学的な思考や実験がおろそかにされる一方、古い権威主義の道徳教育が強調される。
系統学習は、物いわぬ従順な物知り、つまり国家主義社会で重宝される国民の育成に向いている。
しかし短期間の特定の目的のための情報収集以外には、よいところはほとんどない。
■けとばせ学力低下論
きのくにのプロジェクトは、もっともラジカルな経験カリキュラムの学習法である。もちろん系統カリキュラムの弱点の克服がねらいだ。つまり、
◇一人ひとりが、それぞれに十分に学ぶ。
◇何のために学ぶかが意識されている。いいかえれば、学びたいから学ぶ。
◇実際の問題の解決の必要から学ぶので無駄や無理が少ない。
◇教科書の順序や学年でブチ切りにされないで、まとめて深く学ぶ。
◇狭義の知的領域だけでなく、社会的学習(道徳)でも、自分自身で考える喜びが大きい。
知識の習得だけでなくパーソナリティ全体の発達をめざすのだ。
ひとことでいえば、プロジェクトは、一人ひとりが、楽しく、効率的に、総合的に、そして深く学ぶための方法である。
やかましい学力低下論者は、「学力がつかない」と非難するだろう。「高校は?」と心配する保護者もあるかもしれない。しかし、気にすることはない。なにしろ、この方が子どもにも大人にも楽しい。そして高校入試でも英検でも普通の学校に負けていない。それに学力低下論者が危倶するのは、古いタイプの学力、つまり教科書の学力だ。ムキになって反論するのも大人気ない。